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2006.11.07
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昔から一応絵はほめていただけたけど、ひょっとして、ひょっとせずとも、ほめていただくために絵を描いているのだろうかとふと考えるのである。

また、人の持つこだわり的な美意識は何のための美意識かと考えるのである。


 このあいだ母上からA高校の美術科の学生の美意識についての話を聞いた。それはこういうはなしだ。
 うちの姉はA高校の生徒だったので、今春母もA高校の卒業式に出席したのだった。A高校の卒業式、チョビさんの仰るとおりあの高校は私服OKであるが故に卒業式もみんな自由な服装をするそうである。そんなわけで大抵普通科のこはスーツとか、着物とかをきるそうだ。
 しかし、美術科だけはあくまで自己の美意識を貫かんとするがためにかは知らないがとにかく明らかに普通科とは一線を隔した普段着だかなんだかを着ていたそうなのである。

なんだかなあとおもった。そこまでして貫く美意識に意味はあるのだろうか、と
そしてまた美術科についてこうも思うのである、人から学んで描くような絵に何か意味があるのか、と

 しかしそれは今だ将来への決断を先延ばしにしているものの夢のような真っ当な美しい正論であった。
 私は彼女・彼らの決断を知らない。高校という今だ先への選択が山のように広がっている時点において「美術」というひとつの職業・芸術に道を狭めた彼女・彼らの決断の、恐ろしさと、不安と、勇気とを。

 わたしは恐ろしくてたまらないのである。無限の可能性と、次第に見えてくる細いチューブのような今私の歩く道とこの先の行き先、わたしたちはそこから搾り出されて、なにになれるのかだとか。





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Last updated  2006.11.08 00:14:46



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