2007/09/18(火)19:06
福田氏の横顔(上)
福田赳夫元首相の長男の福田康夫元官房長官と,吉田茂元首相の孫で鈴木善幸元首相の義子の麻生太郎幹事長の一騎打ちの構図が確定した自民党総裁選。今回は福田氏の横顔を紹介する。
福田氏は,衆院群馬4区選出の71歳。早大卒業後,丸善石油(現:コスモ石油)に入社。17年余りのサラリーマン生活を経たのち,父の首相就任を機に首相秘書官に転身。衆院議員に初当選したのは1990年で,既に53歳になっていた,いわば遅咲きの政治家。
2000年の森政権時代に女性スキャンダル問題で官房長官を辞任に追い込まれた中川秀直前幹事長の後釜に抜擢され,初入閣を果たす。失言続きの森喜朗元首相を支える「弁明長官」と呼ばれたが,2001年に森元首相の退陣を受けて発足した小泉政権で続投すると,ひょうひょうとした持ち味を発揮。「影の首相」「福田官邸」などと皮肉られるほどの実力者だった。
政策面では,小泉政権発足直後の2001年5月,ハンセン病訴訟をめぐり,政府内で支配的だった「控訴して和解」の方針を転換させ,控訴断念のレールを敷いた。イラクへの自衛隊派遣や日本人人質事件では「情報統制」と批判されるほどの徹底した秘密主義を貫き,小泉首相を補佐した。今回の総裁選において,多数の派閥から圧倒的な支持を得ているのは,このように内閣を実務の要として支えてきた実績からだろう。
官房長官在職が歴代1位となった2004年4月6日の記者会見では「今は秘密主義長官ですか。影の外相,影の防衛庁長官といろいろ名前がありますが,しょせん影ですから。」と記者をけむに巻く余裕さえ見せていた。
ところがそのわずか1ヵ月後の5月7日,福田氏は突然,官房長官を辞任した[在任期間:3年半(通算1289日)]。辞任の理由は,当時,次々と発覚していた国会議員の国民年金保険料の未納問題で,福田氏自身も未納の期間があったためだ。さらに,それを公表するまでの対応の仕方に不手際があり,内閣のスポークスマンである官房長官として,政治に対する国民の不信感を招いた責任問題は避けられないと判断したためでもある。辞任に追い込まれる前に自ら「けじめ」をつけることで,他の「未納」閣僚への責任論を封じ込め,政権への影響を最小限に食い止めたいとの思いもあったようだ。結局,福田氏以外に辞任した閣僚は一人もいなかった。