晴走雨読の報告 その(一)
ブログの更新がふた月近く ご無沙汰してしまいました・・・私事ですが熊本の親族の震災後の 日常が気がかりであったり5月に母の法事で 老いた兄弟親族と会うことを図ったり今月始め 娘に待望の第一子が誕生したり・・・まさしく生と死が 身近に感じられて・・・そんなこんなで 筆が滞りましたなのに 時々ブログをチェックすると なんと日々50名近くの方が 覗いてくださっている・・・ ○ ○ ○梅雨まっただ中の 東京下町雨合羽を持参して 出来るだけチャリ通勤をしていますでも 雨の日は気になっていた 本を読むができる電車通勤と夜を 楽しみに過ごしていました * * *たとえば 吉村昭の一冊「勘定奉行川路聖謨 落日の宴」幕末 優秀な頭脳と交渉力を認められた幕史川路聖謨(としあきら)は軽輩から出世を重ね官僚の最高峰ともいえる 勘定奉行となる。ロシア使節 プチャーチンとの交渉では通商問題から 樺太・千島の国境設定まで実に多くの課題を 通訳をとおし粘り強くお互いの名誉は 傷付けぬよう慎重に重ねて行く。吉村昭は ここでも豊富な記録を調べ上げさらに 長崎や下田はじめ 各地を取材しその日の 雨風や気温 本人たちの体調まで詳しく描く少しずつ 小説がリアルに 体感しているようになる他に例のない 独特な文体となっていく。川路聖謨は勘定奉行の筆頭にのぼりつめた際日記に次のような趣旨の自戒を書き留めていたそうだ。『人と議論におよんで、相手の意見に反論する時はつとめておだやかな言葉を使い、決して憎しみをいだいてはならない。相手が道理に反したことを口にしても、職務を損なうものでないものなら少しも心にとどめてはならない。このような心掛けでなければ、枝葉末節のことにこだわるようになり、役職をおろそかにするようになる』『合議するにあたって、まず確固とした自分の意見をもち、その上で多くの意見を聞くべきで、いたずらに衆議に身を任せるべきでない。ただし、いったん衆議にしたがった上は自分の意見は忘れ、それに固執するべきではない』 * * *幕末に徳川幕府の高級官僚として 文字通り命をかけ職務を全うし 江戸が明け渡せられた日にピストル自殺をした 川路聖謨を詳しく知らなかった。上野池之端の大正寺に 墓があるそうだ。散歩道のひとつに 入れるとしよう。