|
カテゴリ:カテゴリ未分類
メールを開くと「標語」と大きなフォントで書いてありました。 会社の総務があまりにも暗いからと、全社的に自分でできることをまず標語にしましょうということになっっていました。 私はそういうことならと、どうどうと好きな言葉を飾っておける嬉しさに、 美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。 美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。 美しい身体である為には、飢えている人に食べ物を分け与えなさい。 やがて歳と共に、あなたは二つの手を持っていることに気付くでしょう。 自分自身を助ける手と他人を助ける手を。 -オードリー・ヘップバーンー を、とっておきの紙にプリントアウトし額の中にいれ机の上におきました。 次の日、部長が部屋に何も言わず入ってきて、周りを見渡し何も言わずに出て行きました。 そしてその後の部長が全社員に送ったメールが、たいそう大きなフォントで、 「標語」 ただそれだけでした。 その案が出された特、どこか目に付くところに、自分が一番守りたい、こうしたいと思うことを一番目に付くところにおいておきましょう・・というコンセプトであったにもかかわらず、彼が見渡した限りで自分の目にそれが映らなかったのできっと、誰もそれをしていないと思ったのでしょう。 そのメールをみた人たちは皆、反発も抱き、何がだめだったのだろうと悩む人もいたり、取り決めを(まぁこの取り決めもどうかと思います・・当たり前のことですから・・。でも楽しんですることが大切だと私は思うのです。)守らなかった人も、「あっ、忘れてた、申しわけない」と思えない促し方だと思います。 「どういう意味でいらっしゃるのでしょうか?」 と返信をいたしました。 「会議で約束したことです。」 と返信がありました。 あまりに悲しくは無いでしょうか・・。 それでなくても、とってもいいことを言っている人が、どうして人の心まで一生懸命であってもそれがとどかないの・・と言うことを前日BOSSと話し合っていたところでしたので、悲しみが倍増でした。 ずいぶん悩みましたが、気持ちがおさまらず、 「2F、3F、支店でも、約束をちゃんと前向きに守っている方はいらっしゃいます。 単語だけのメールで行間、背景を読めというお気持ちはわかりますが、あまりに暴力的で、それをする必要を人に求めるのは危険だと思います。その活字を受け取って目にした私は、あまり気持ちの良いものではございませんでした。 先ほど何も言わずお部屋に入ってこられて、そして何も言わずに出て行かれた時、それを確かめていらっしゃったのだと思いますが、そこにいる私は不可解で、誤解を招くことになりはしないでしょうか。 それこそ信頼関係を大切にしていきましょうという会議のコンセプトに反していると思います。 生意気なことを申し上げているとは存じますが、ずいぶんショックで悲しい思いをいたしましたので、メールさせていただきました。」 自分の書いたメールを何度も読み返し間違っていないと思い返信しました。 それから帰宅しましたのでそれをみた部長がどういう気持ちになられたか、ぜんぜん解らずにいます。 言葉は味方でもありますが、使い方を間違えれば大変なことになります。 取り返しの付かない誤解を生む結果にもなりかねません。 隔たりは簡単に幅を増します。 言葉を大切に使っていただきたい。 そんな私の気持ちは届いているのでしょうか・・。 Saranne お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|