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ひたすら本を読む少年の小説コミュニティ

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2005.08.28
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あるところに男がいた。

何の特徴も無く、特質も無く、特技も無い、いわゆる普通の男だった。

彼は長男として生まれた。

後から生まれてきた2人の双子の弟の面倒はしっかりとみたし、兄として恥ずべき行為は何一つしなかった。

勉強も頑張ったし、課せられた宿題を忘れたことも無い。

恋人だって、中学生の頃からきちんといて、今までに2人と付き合った。

彼は、2人をとても愛していたし、優しくした。

相手が自分のことに関心を持たなくなったことを感じると、わざと自分に非があるようにして別れた。

アダルトな本さえ買わなかった。

小、中、高と、全て皆勤賞をもらい、親に面倒もかけなかった。

今は、中堅の大学に籍をおき、今までと変わらず勉強を頑張っている。

しかし、この男は頭が飛びぬけて悪かった。

頭が悪かったため、どんなに勉強を頑張っても、普通の人の半分くらいまでの事しか彼は出来なかった。

頭が悪い事で、同級生からバカにされたことも多々あった。

しかし、男が何より辛いのは、自分より弟たちのほうがすこぶる頭が良い事だった。

その上、身長さえも、彼らのほうが10センチも高く、男は彼らと並んで歩くことをひどく嫌がった。

双子の弟たちは、出来の悪い兄をいつも誹謗と中傷の目で見下した。

彼らは、頭脳も運動神経も普通の人よりも良く、女子からの注目の的でもあった。

兄には彼らに勝てることが一つも無かった。

親には、面倒をかけたことはなかったが、逆に親から期待されたことも無かった。

いつも世界は彼の存在を通り越して弟たちだけを見ていた。

男は、いてもいなくても、存在さえ感じえることが出来ないまで、家族から消されていた。

両親にとっても男というのは、いても迷惑はかけないし、出て行ったら出て行ったことで、食費も光熱費も浮くので別にいい、と言うくらいにしか思っていなかった。

過去の恋人たちにとっても、男と言う存在はプラスにもマイナスにもならなかったので、付き合っても付き合わなくてもどちらでもよかった。

要するに、男の人生の中で、他者から特別に関心を持たれた経験は無かった。



逆に、男が関心を持つものも少なかった。

しかし、長く関心を持てるものが男にも一つあった。

他者から見ればそれは特別な関心と思われるので、臆病な男は誰にも話したことは無い。


彼は今日も大学の講習を終え、寄り道などせず、まっすぐ家に帰る。

大学も、親に交通費や、アパート代などの迷惑をかけたくなかったため――家から自分がいなくなることで、存在を消されたくなかった――家からすぐ近くの大学を受けた。

もちろん、友達はいなかった。

彼の臆病な心は、傷つくことを恐れ、他者をひどく避けた。

話すと自分の頭の悪さも知られてしまう。

彼は自分の存在をあやふやなものとし、存在していた。

家に帰るなり、男は洗面所に向かい、手と顔を洗った。

手を、石鹸を使い、丹念にこすり、洗う。

出始めのニキビはすぐに潰し、中から白い液体を出し、市販のクリームを塗りこむ。

そして、居間に座り、作り置きされた夕飯を一人で食べる。

よく噛んで食べる。

後ろの台所で、母は無言のまま皿を洗っている。

食べ終えた後は、皿を自分で洗い、また洗面所に向かい、口をゆすぎ、5分間かけて歯磨きをする。

コップは水垢が付かないよう、すすぎ、洗う。

その後2階に上がり、自分の部屋に入る。

四畳ほどの広さの部屋には、机、本棚(もちろん本だけ)、壁には鏡がかかり、中古のパソコンが一台(回線には繋いでなく、論文を書くだけ)、そして床に小さなテーブルが置いてある。

まず、机に向かい、今日の講習の復習を始める。

一通り終えた後、一週間ほど前に出された論文の課題に取り掛かる。

議題は「近代文学においての現代の子供たちへの警告」

それを3時間ばかり取り掛かると、11時ごろになる。

一階に降り、洗剤をかけ風呂を洗い、2,30分後に湯が沸いたら、家族が入り始める。

そして最後に自分が入る。

その頃は既に12時半近くになっている。


その間も、彼は課題に取り組んでいる。

頭が悪いため、思うようには進まない。

思うように書くことが出来るまでに、頭の中の様々な自分と話し合い、結論を出さないと書くことが出来ない。

大体それに2時間もかかるのだ。

彼が書く字も、小学生のような汚い字で、書くための道具も2Bの鉛筆とMONOの消しゴムだけだ。

誤字も多いので何回も書き直す。

そのため、用紙は薄く黒ずんでいる。

消しゴムを強く擦りすぎたことで用紙を破いてしまうことは幾度もあった。

しかし、彼は、それは自分の頭が悪いせいなんだ、と自分に言い聞かし、課題に励んでいた。


そんな彼の目の前に突如、光沢のある薄茶色の物体が現れた。

彼の臆病な心は頭の中で破裂しそうなくらい膨れ上がった。

驚きの余り、鉛筆を放り投げ、椅子ごと後ろに倒れた。

その騒音に、隣の部屋から壁を蹴る音が聞こえた。

懸命に姿勢をなんとか建て直し、よく見ると、それはゴキブリだった。

10センチ近くもあるとても大きなゴキブリだった。

光沢のある背中は光を跳ね返し、長い触角はせわしなく動いていた。

彼の出来の悪い頭は、その自体を理解するのに4分かかった。

まず、最初の疑問としては、何故ゴキブリが現れたのか。

彼の部屋では食事をしたことが無かった。

菓子類を食べることも無かった。

友達を呼んだことも無いので部屋が汚れることさえなかった。

食べ物の無いこの部屋に何故ゴキブリは現れたのか。

暫く考えたが、その疑問は彼には解けなかった。


次の疑問は、どうやって現れたのか。

部屋を毎日のように掃除し、窓を開けるときは網戸を閉め、部屋を出入りする際もきちんとドアは閉める。

入るところなどどこにもないのだ。

壁に隙間さえない。

昔、ここゴキブリを潰して、卵をおとされたこともない。

もちろん、その答えも彼にはわからなかった。

そして、最後の疑問は、このゴキブリをどうするか。

窓から逃がすにせよ、ドアから出すにせよ、運動神経の悪い彼にゴキブリを捕まえることなど、到底無理なことであった。

そして無謀なことだった。

やはり、このゴキブリを部屋から出すためには、ゴキブリを殺すしかなかった。

しかし、階下に下りて、ゴキブリが出たと一言言えば、母親から数十倍もの非難を浴びせられることになる。

そして、すぐにそれを聞きつけた弟たちが2階から降りてきて、自分をひどく馬鹿にするだろう。見下すだろう。

臆病な男は、自分の心がまた傷つくことと、騒ぎが大きくなることを恐れた。

自分を否定されることを恐れた。

その思いから逃げるかのように、彼は鞄から護身用のためのナイフを取り出した。


ゴキブリがこの後、止まるとは限らない。

動き出したら到底僕には殺すことが出来ない。

今しかない。

今、机で止まっている時しかない。


自分自身を励まし、精一杯の想いをこめて、ナイフを持った片手を振り上げる。

ゴキブリは相変わらず、動く様子も無く、触覚だけがせわしなく動いている。

男の額から汗が吹き出る。

頭の中の心は、既に破裂してもおかしくない状態で、頭蓋骨にへばりついていた。

彼は想像する。

ナイフを突き刺した後の、ゴキブリの姿を。

液体は飛び散り、中から卵が溢れ、部屋は臭気に満たされる。

想像は肥大化していく。

止まらない。

もうだめだ、、、

彼は勢いよく、渾身の力をこめて、ナイフを振り下ろした。

しかし、ゴキブリは見事に彼のナイフを避けた。

避けられることを考えていなかった彼は、予想外の出来事についに頭が破裂した。

膝をつき、床に降りたゴキブリめがけてナイフを突き刺し続けた。

本棚に体が当たろうが、テーブルをひっくり返そうが、鏡を割ろうが、関係なかった。

ゴキブリを殺すことも、彼の頭の中から消えていた。

あたりは、本や、ガラスの破片で足の踏み場も無い状態に仕上がった。

心拍数は上がり、汗は噴き出し続ける。

彼は足を血だらけにしながらも、ついにゴキブリを追い詰めた。

そして、今までの人生の中での、ひどく辛かった恐怖心や、誹謗、中傷、罵倒などへの全ての想いをゴキブリに与え、涙が頬をつたうのを感じた瞬間、彼はナイフを突き下ろした。

逃げ場のなくなったゴキブリに見事に突き刺さり、液体が飛び出た。

何もかもが、頭の中で空白になった。

全てが消されていく。

満たされていく。



その瞬間、彼は心の中で快感を感じた。

それは今までに無い快感だった。

生まれきた中で最高の快感を彼は心の中で感じ取った



彼の部屋からの騒音を何事かと、両親や弟たちが駆けつけた。

男は、いくら両親がドアを開けろといっても、応じなかった。

無言のまま、彼はナイフに突き刺されたゴキブリを見ていた。




その後、そんな彼の部屋の隣で、薄笑いを浮かべる者たちがいた。

双子の弟たちである。

「あいつ、俺たちが放したゴキブリ一匹で相当暴れてるな」

一人の弟が言う。

「こりゃあ、傑作だ。荒れ果てた部屋を見れば親父たちもアイツを追い出すだろう。」

「やっと、俺たち一人に一つの部屋がもてるな。出来の悪い兄貴は邪魔なだけだ。部屋を持ってても意味が無いだろう。」

彼らは笑いあった。

隣の部屋の騒音を聞くたびに彼らは腹を抱えて笑った。




彼は数日間、部屋から出てこなかった。

もともと、彼に対して関心も興味も持たなかった彼の親は、面倒に巻き込まれるのが厄介だったので放っておいた。

ただ、自殺だけはするまい、と確信も持っていた。


弟たちは話す。

「しかし、一匹殺すのに、いやに時間かかってないか。」

「あいつ、馬鹿だから食べることも忘れてゴキブリを追い続けてるんだろ」

一人の弟が薄笑いしながら言う。

「いや、しかし、何日もゴキブリを追うことは、いくらあいつでもしないはずだ。」

一人の弟は言う。

「じゃぁ、確かめてみるか。そして、暴れきったあいつと汚い部屋を見つけたらさっさと母さんに言って、たたき出してもらおう。」

「よし、そうしよう。見に行こうぜ。」

二人の弟は立ち上がった。



その数日間の間、男は部屋にこもり、ゴキブリを殺し続けた。

殺しても殺しても足らないくらいの数限りないゴキブリを殺していた。

時には40センチものゴキブリを殺した。

大きいものを殺せば殺すほど、彼の心の歓びは膨らみ続けた。

彼の部屋はゴキブリの死骸で溢れた。

そして、ついに今日、最大のゴキブリが現れた。

2メートル近くあるゴキブリが、2対の足で立ったまま、彼の目の前に現れたのだ。

彼は、喜びに震えた。

かつて無いほどの緊張感と快感が彼の体を駆け巡った。

全てが開放される。

彼の顔には笑みさえ浮かんでいた。

そして、狙いを、全神経を、ナイフをゴキブリに突き向け、血をたぎらせ、奥歯を噛み締め、心拍数を高め、全ての力を振り絞り、なんの関心も無く、頭めがけてナイフを突き刺した。




その瞬間、彼の部屋のドアは開けられた。

あまりの光景に、二人の弟はその場に立ち尽くした。

部屋は、ガラスの破片や、本だけでなく、大量の血が壁や、天井に散らばっていた。

そして、部屋の真ん中に、体に無数の穴を開けた兄が、立ったまま顔にナイフを突き刺し、死んでいたのだ。

しかし、彼の顔には、この世とは思えないほどの笑みが、耳元まで浮かんでいて…‥・








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Last updated  2005.08.28 13:39:31
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