佐藤けんじのつれづれなるままに

2009/04/04(土)22:56

危機における老練さが

午前10時の朝鮮中央通信によるテポドン発射予告は、すわ発射に備えよとの構えを意味し、日本中を走らせた。じりじりとした焦り、11時の時間を過ぎた12時16分に飛翔体が発射されたというE-netの送信ボタンが押され、総理官邸から海保、警察、もろもろの機関から秋田、岩手、宮城の各市町村、おとなりの韓国まで一気に走らせることになった。およそ5分後に訂正が流れた。なんだこれは、この危機管理のピークいうべき局面で、オオカミ少年の事態を出現させる有様となった。主幹の防衛省は情報伝達経路の混乱を大臣が謝罪、危機管理をになう官房長官が謝罪。なんと発射するようも効果的な日本への恫喝として機能してしまった。これをちょんぼとして済ますのはあまりに対価が大きい。間違ってはならないときに生じることは万全の準備ではなかったことに証である。防衛省の肝心な時での失態は大きく、あまりに大きくその信頼を損なう結果である。もちろん慌てたのは臨時の特番を組んでしまい、お笑い番組を潰したテレビ局の怒りは相当なモンだろう。 確かにこの緊張のステージでは大きなストレスが従事する人達を襲う、わずかな思いこみや冷静なダブルチェックの遺漏や伝達経路のパッシングが混乱を増幅してしまい結果、虚報となり大きく信頼を損なう。防衛省ではこの飛翔体の臨時ニュースをテレビで識り仰天する人もいたという。当然のことながら熱源関知の赤外線を利用した偵察衛星からの情報確認がなされていたという情報が伝わってしまったのだろうか。これは権限や所管範囲外の重要事項に介入するあるいは勝手に判断する組織の乱れから生じる混乱である。 やはりどこか甘い、誠実な事後対応はそれなりに認めても(もうどうしようもないし)むしろ、危機においても飄々とする老練な知恵。変だよなと、あっさり言える冷静な事前チェックの機能と人がどこか欠けているのである。

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