カテゴリ:カメの雑記帳
ポカポカしてきました。
季節の変わり目で、ちょっとウツウツしています。 非常に疲れやすいです。 彼女との話しは続きますが、ここでちょっと骨休め。これでもプライバシーに気を使い書きたいことも字数制限で削り・・・結構大変だったりします。字数制限がなければ、もっともっと表現を交えるのになぁ・・・。 のでインターミッション。 乗った人は当然、文章でだけなら「それは無理だろう」と思える私の運転経歴を書き出したいと思います。 元々スポーツカーブーム世代です。 でも、幼稚園以前からですが、私のミニカーのお気に入りは三菱ジープでした。 中学生になると、将来買いたい車の話を男の子はするようになります。私だけが、悪路走破重視のクロカン四駆・・・。 ラリーとの出会いは、やっぱりパリダカ。そうして、WRC。 高校を卒業して免許を取り、見よう見まねで長期休暇で帰ると、お袋のMIRA(四速MT)を借りて、攻めに攻めました。特にグラベル(ダート)。結果、横転したりしましたが・・・。 当時専門学校で、Mさんは社会人を辞めて入学した人。彼の当時の車はATのセフィーロ。 裏街道を夜な夜な二人で飛ばしましたよ。事故りましたが・・・。(Mさんの運転でネ) さて、初就職は広島。詳しい場所は話せません。 私は東京の寮からシングルパックで荷物を社長の家に送ります。そう、下宿だったのです。 東京から直で現場。しかも連続。何処をどうやって回ったか覚えてない。 滋賀県で待ち合わせして、会社のMT、NAのレガシーを 「おい、カメ運転しろ。」 と言われて。 「運転、上手いじゃないか」 の言葉に調子に乗っていたんだな・・・。 途中で無事に荷物が着いた報告は受けて、 確か京都から東広島(西条)まで運転した。 ずーっと同行して助手席にいた社長が 「カメ、インター出るとコンビニがあるからそこで止めろ。」 二人で缶コーヒーを飲んだ。 「どうだ、かなり疲れているな。」 「大丈夫ですよ。」 「でも、早く帰ろう。ここから僕が運転するから。通常だと1時間かかる。でも、この時間だったら15分。」 「・・・」 社長は公衆電話で家にビール、その他酒、食事があるか聞いてから運転席に収まった。 その時の社長の運転は車は滑らかに動くがスピードが尋常じゃない。乗ってて不安は無い。けれど、物凄く速い。 ニコニコ笑う社長が 「これが車。」 そう言う。 「凄いです。感動ですよ!」 20歳の僕はこたえた。外の景色よりも両手、両足に釘付けになった。無駄な動きが一切無い。 その後、同じ道を同じ様に運転できるように努力した。時に一人、時に社長が同乗して。 レガシーは現場の車。その他に、私が自由に使えるようにと、インテグラを与えられた。 他に、奥さんのMさんと同じセフィーロがあった。全ての整備を自分でやった。 ほとんど師弟関係だから、ご飯の支度、掃除もした。もちろん現場も! ガソリン代は会社が持つ。と言われたので、夜な夜な 「行って来ます」 と車で走りこんだ。時に車種を代えて。 現場では 「なんでレガシーワゴンのNAでヒールアンドトー必要なの?」 と言われたが・・・。 会社が島に移り、また一人暮らし。社長から借りているインテグラが愛車。 島での出社は、2ルートある。海岸沿いに行くか、山を越えるか。 小さな島。・・・低血圧な私。海岸道路を爆走は出来るけれど人目に付く。 選んだのは離合も出来ない山道。当時のFF車はタックインと言った特徴を持っていた。 タックインからのドリフトを勉強した。 社長の教え、プラスまた独自の業で出社までの時間は面白いほどに短縮していく。 サイドブレーキなんか使わない。狭い道を車は流れっぱなしで走り抜けていく。そんな運転が出来るようになった自分が嬉しかった。 わけあって、広島の会社は解雇され、福島の父の実家近辺の建設会社に拾われた。 その時 「週末実家(当時父は福島市、私は太平洋側)に帰る時に使って良いよ。」 と言われた車が、軽自動車のアルト、NAの5速MT。 金曜に仕事が終わり、夜間出発する。通常に走れば2時間半。段々時間は短縮する。 30分を切った時には嬉しかった。 そうして、同時に同じ時間に走る、インプレッサWRXstiと散々バトルになった。 常識に言って勝てる車じゃない。 でも気がついたのはコーナリングではこっちが速い。 メリットを生かそう。 そう思い、また練習した。 インプレッサは毎回勝負を挑んでくる。 でもコーナリングで勝つ。 逆の立場なら悔しいだろう。 インプレッサなんてたいした車じゃない。・・・勝手に思い込んでいた。 初めて自分で車を買った。スズキX-90。エスクードベースの2シーターオープン。クロカンも行ける。OHC1600ccの100馬力。 これは例え高速道路でアクセルを全開にしても150kmしか出ない。 けれど、自分の車を持ち、そうして会社を辞めて自営業で野生生物調査に戻った私は・・・。 新潟から高松まで深夜に走行して仕事をこなしたり・・・。全国を歩いた。 彼女が出来た。 私の福島帰りにあわせ、Mさんが友人と、私は彼女と桧原湖で会った。夏。Mさんはランサーエボリューションに車が代わっている。 私が地元、遅い車。そうして、Mさんは車は速いけれど地元じゃない。それで、私が先行、Mさん後追いで遊ぶことにした。 お互いに隣に人を乗せている。100%では走れない。Mさんのエボを私も箱根で走らせたことがある。加速が凄い。コーナーで踏ん張る。 今の彼女を乗せて飛ばした同じ道。 Mさんの後日談では、驚いた。コーナー抜けると居ないんだよな、お前の車が。んでエボの加速で追いつこうとしても追いつけない。隣に友達が居るし・・・けれどこっちも大分押さえて走ってるからネ。隣に、ちょっと本気出すよ。って言って、OK貰って・・・。その後追いついたけれど、友達は絶叫してたよ。そんで、なんであんな(カメの)車が速いのか?って訳分からなくて混乱してた。 もう、この頃には「宿から一番遠い現場なのに一番速く現着の無線が入る」・・・と言う伝説は出来上がっていた。 それでもいろいろ試した。 平日の県立体育館の広大な駐車場に空き缶を並べて隙間を縫う走り方。徐々に速度は上げる。 そうして左前輪で高速で空き缶を潰す練習。 左後輪で同じ練習。 ドリフトしながら決めたタイヤで缶を倒す練習。 漫画の「イニシャルD」は読んでいた。そうして、現場のついでに秋名(漫画では榛名)で走った。 ただ、MTBを二台積んでいたので全開は出来なかったけれど。 ここで溝落としを学べた。 千葉に引っ越して、会社に入ると今まで見たいに「自分の車」での移動に制限がかかる。 殆どがレンタカー。 実はレンタカー、車種が指定できる。そうして自然と専属ドライバーになったから・・・。 最初はどんな車でも、一度アクセルを全開にして、後続車が居ないのを確認して床までブレーキを踏む。 もちろん同乗する皆に許可を取って・・・次第にそれが儀式になるが・・・。 普段は安全運転だけれども、一度やるのが6割走行。そうすると車の性能がむき出しで分かる。 「カメ、時間が無い。お前が急げる限界で飛ばせ!」 そういう時もある。大抵が峠道なのだが・・・。 結果的にどんな車でもある程度同じ様に走れるようになっていた。 約一年。運転を止めて正直に自信が無かった。普通に運転する自信も無かった。 でも、今回運転して、腕が錆びて無い事に気がついた。 所有した車もX-90、ジムニー、ディスカバリー、インプレッサ、Muと。 確かにラリーはしたい。 でも小さな車で若い兄ちゃんのスポーツカーを夜中にぶっちぎるのも快感だったりする。 彼女が許すなら、小さなラリーカーを作ってみようと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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