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「馬がいたからこそ」岡部騎手が引退会見 引退会見後、花束を受け取る岡部幸雄騎手 日本中央競馬会(JRA)の最多勝記録、2943勝を挙げた岡部幸雄騎手(56)=美浦・フリー=は10日、都内のJRA六本木事務所で引退会見、「本日付けをもって、引退届けを提出してきました」とあいさつした。 いつも通りの淡々とした口調で、時折笑顔を見せながら、38年間の騎手生活を振り返った。 ――引退を決意した時期と、その理由は。 「2月19日の騎乗で全然体が動かず、イメージしたことができなかった。『もし明日も同じなら、もう辞めよう』と思って翌日騎乗したが、やっぱり変わらなかったので決断した」 ――3000勝目前など、達成間近の記録もあるが、やり残したことは。 「全く悔いはない。何回も色々な馬で挑戦しての結果だから」 ――騎手生活で最も楽しかったことは。 「38年間レースに乗れたことが一番うれしい」 ――長く現役を続けることができたのはなぜか。 「自然体で無理をせず、自分のできることだけをやってきたから」 ――今後の予定は。 「少し競馬を離れ、自由な時間を楽しみたい。両親も高齢なので、面倒をみてあげたい」 ――思い出の馬は。 「三冠馬のシンボリルドルフは忘れない。タイキシャトルで念願の海外G1を勝てたことも生涯の思い出」 ――ベストレースは。 「あまりない。負けてばかりですから(笑)」 ――目標、ライバルとした騎手は。 「時代ごとに変わってきた。『武君には負けたくない』と思ってきた」 ――競馬の魅力とは。 「筋書きのないドラマで、同じレースは2つとないこと」 ――馬とはどんな存在。 「馬がいたからこそ、自分の人生があった。『ありがとうございます』という気持ちです」 ◆20日に引退セレモニー◆ 岡部騎手の引退セレモニーは、20日の中山競馬最終レース後、パドックで行われる。また、同日に行われる予定だった「東風(こち)S」のレース名を「岡部幸雄騎手引退記念」と変更し、最終レースで実施することが決まった。 (読売新聞) - 3月10日19時42分更新 ----- 毎日新聞 2005年3月10日(木) 19時34分 <中央競馬>「38年間悔いなし」岡部騎手、引退表明 日本中央競馬会(JRA)最年長ジョッキーの岡部幸雄騎手(56)が10日、東京・港区のJRA本部で記者会見して、正式に引退を表明した。 岡部騎手は同日JRAに引退届を提出し、受理された。 今後については「競馬を離れてしばらくゆっくりと充電する」と話し、JRAから離れることを明らかにした。 「38年間やってこれたのはファンの声があったから。自然体で自分のできることをやってこれたので悔いはない」と、クールな騎乗そのままに淡々と語った。 岡部騎手の話では2月19日のレースで本来の騎乗ができなかったことを痛感。20日もだめなら引退することを決めていたという。20日のレースでは8レースに騎乗し、最高は2着だった。 ライバルだった柴田政人騎手ら多くの騎手は引退後、調教師の道に進んでいるが、岡部騎手は「調教師と騎手では知識が違う。エネルギーが沸いてこない」と調教師の道を選択しない理由をかねてから話していた。 このまま競馬サークルから去るには惜しい人材としてJRAは後輩の指導などの仕事の誘いをかけている。しかし岡部騎手は「38年間、家族に迷惑をかけたのでしばらく自由な時間を持って楽しみたい」と応じなかったという。 岡部騎手は67年3月にデビュー。翌年いきなり54勝を上げて頭角をあらわし、それから第一人者として活躍。7冠馬シンボリルドルフやタイキシャトルとのコンビで世界を転戦した。卓越した手綱さばきでトウカイテイオー、ビワハヤヒデなどの名馬を操り、G1レースを31勝している。 38年間でマークした通算1万8646回騎乗と2943勝はJRA史上最多。今年は93戦3勝。2月20日の騎乗が最後だった。 JRAでは19、20日の2日間、中山競馬場で引退セレモニーを行い、岡部騎手がファンに別れを告げる。【松沢一憲】 3月10日 19時34分 更新 ] ----- 20日に岡部騎手引退セレモニー=JRA 日本中央競馬会(JRA)は10日、引退を表明した岡部幸雄騎手の引退セレモニーを20日の中山競馬最終レース終了後、同競馬場のパドックで行うと発表した。また、同日予定されている第10レース東風ステークスを第12レースに変更し、同騎手引退記念として実施する。 (時事通信) - 3月10日20時1分更新 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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