おおきく振りかぶって 第11話おおきく振りかぶって第11話 夏がはじまる ![]() 六月、夏の全国高等学校野球選手権埼玉大会の組み合わせ抽選会場には埼玉県中から高校球児が集まっていた。 「うわぁ、皆でかいな」 「そうか?」 「花井だって縦はあるけど全然細いぜ」 「あ、そっか?」 「当ったり前じゃん。俺達全員一年だぜ。でっかくなるのはこれからだろ」 一年生だけの新設野球部校の西浦にとって、周りはみんな体格の良い選手ばかりで、それを聞いた他校生達は当たりたいと思っていた。 そんな中、三橋と栄口が緊張のあまりトイレに行きたいと言い出す。 「神経性の下痢なんて情けないな」 「ち、違う、お…オシ…」 「どっちでもいいからさっさと行け」 トイレの個室に入った栄口からトイレットペーパーをとってくるよう頼まれた三橋はトイレを飛び出そうとするが、ちょうど入ってきた人にぶつかって尻餅をついてしまう。 「危ねえな、こら」 「うわぁ、すみま…!?」 ぶつかった相手が榛名だったことに驚く三橋。 「駆け込んでくるなら許してやっけど、トイレから走って出てくるなんて…うわぁ、あいて。痛ぇな、秋丸!!」 秋丸が榛名を押します。 「こんな関係者だらけの場所で荒い声出すな!!」 「だって、こいつが…」 個室の中にいる栄口は怒られているのが三橋かと思いながらも、紙のことを考えます。 「ほら、お前何ともないだろ?」 《誰か仲裁入ってくれた!?》 「相手、見ろって」 「え?何が!?あれ?」 三橋は丸まって震えていた。 《こんなんなるほど強く言ってねえぞ。まさか、どっか怪我させたか!?》 三橋の腕を掴んで立ち上がらせる榛名。 《左…手…》 「おい、大丈夫か?おーい」 「はっ、だ、だい…」 「あっそ、もうトイレで走っちゃ駄目だぞ」 榛名達がトイレしていると、三橋の携帯に電話がかかってくる。 『ホール入ったぞ。クソは放っておいてこっち来な』 「あ、阿部君…榛名さん、いい人だよ」 「「え!?」」 《榛名さん!?》 『はぁ!?何だって、おい!?』 「何?俺んこと、知ってんの?」 《榛名さんと喋ってんのか?》 「阿部って誰?」 「あ、阿部君は…あべっく…」 「はぁ!?」 「あの~阿部隆也ですよ」 「隆也?」 「榛名さんとシニアで一緒だった阿部隆也です。俺達、今阿部と同じチームなんですよ」 「じゃ、西浦高校の!?確かうちと浦総の試合、見に来てましたよね。一年生だけなんすよね?いいっすね、頑張って下さいね」 「うん…」 「な、西浦のピッチャーってどんなタイプ?」 「ど…んな」 「今日来てる?」 《西浦…ピッチャー…今日…あ!?》 「来てます、ここに」 「お前!?」 《!?…え、いいんだよね?俺、西浦のピッチャーだよね…?1番貰ったんだし…》 《勝った》 にやりと笑う榛名は三橋の肩に手を乗せてお互いに頑張ろうなと言われ、いい人だと感じる三橋。 「三橋、紙~」 「紙がないの?」 「は、はい…」 「待って」 秋丸が隣の女子トイレから貰ってきてくれます。 ホールのようやくやって来た三橋と栄口。 「栄口、三橋!!」 《ここにいる人達、皆野球やってるんだ》 沢山人がいるのであちこち見渡しながらドキドキしている三橋。 「お前、受験でも下痢したんだって?」 泉の隣に座る栄口は顔が真っ赤です。 「なぁなぁ、何時から?」 「もうそろそろ始まんだろ」 「あ、そうだ、阿部。さっき、トイレで榛名さんに会ったんだ」 「あぁ、そういや何か言ってたな」 「榛名さん!!阿部君、榛名さんいい人だったんだ」 「はぁ!?」 「榛名がどうした?」 「ガムでもくれたのか?」 「お、俺の肩に…『お互い頑張ろう』って俺に」 《アホが。見下されてんのが分かんねえのか!?》 にやける三橋に落ち着くように言う栄口。 《お互い頑張ろうだ?ふざけんなよ、80球しか投げねえ手前とこいつじゃ頑張る所が違うんだ。コイツの場合、頑張りすぎないよう気をつけなきゃだけどな。ま、80球で降りてりゃ、そうは勝ち上がれねえ。さっさと負けて、お前が今日見下した投手で勝ち上がってくウチを見てろ》 栄冠は君に輝くが流れ始め、舞台の幕が上がるとトーナメント表があります。 「それではこれより埼玉大会の抽選を始めます。まずはAシード、千朶高校とARC学園高校の主将は校名札と到着番号札を持って前に出て下さい」 「三橋はARC知ってるか?」 「うん」 「群馬の中学生もARC知ってんだ」 「つ、強いトコだとしか…」 「今年はここ10年で一番の不作だとか言われてっけど」 「関東は決勝まで残ったしな」 「桐青高校」 「じゃ、桐青は?」 「あ、去年甲子園行った」 桐青高校は抽選の結果、85番となる。 「桐青はあれよあれよという間に勝っちゃったけど、やっぱ県内では今年もARCが頭一つ抜けてるよね」 「そうだ。で、千朶と桐青が続くだろ。公立なら上尾商業と嵐山、春一回戦でARCと当たってシード入ってないけど大井北はずっと強い。後、今回はBシードとった春日部市立は勢いあるな。そのほか上昇株は美丞大狭山に越ヶ谷中央」 「あ、容量超えそうだよ」 頭がパンクしかけの三橋。 武蔵野第一も呼ばれ、128番となる。 「あ、そうだ。武蔵野第一も評価高いぜ」 「武蔵野第一…榛名さんとこか」 「こないだ見た試合でも浦総相手に勝っちゃったし」 「シード校はどこもシードとなるだけのものはあるってことだよね」 《知らない学校がいっぱい、知らない選手がいっぱい、知らないスゴイ投手もいっぱいいるんだろうな。勝ちたいな。勝ってまた気持ち良さを味わいたいな》 ようやくシード校が終わり、到着番号順にくじが引かれていく。 「なぁなぁ、どこと当たりてえ?」 「できりゃ練習試合やったところがいいけど…170分の7だからな~~」 「確率低」 「俺はすげえピッチャーのトコがいい。127番がいい。127番引いてきて」 「127!?って言ったら相手、武蔵野じゃねえか。いきなり、Cシードなんて嫌だよ」 「何で?先が楽だぞ」 「嫌がってると引きそうだな」 「はぁ!?」 「花井、くじ運悪いだろ?」 「何でだよ!?これからくじ引く人間にそういうこと言うな」 舞台に向かって歩いていく花井。 「頑張れ~!!」 「くじ運悪くても諦めるな!!」 「別に悪くねえよ!!」 《ったく、阿部の奴遊びやがって。本気でテンション下がったらどうすんだ。ま、くじにテンション関係ねえか。さて列に並んで…はぁ、この列全員、主将か?皆苦労してんのかな》 近くで見るトーナメント表の大きさに花井は驚いています。 《170ってこんな数なんだ。一回戦でこれが半分になる。二回戦で4分の1、3回戦では8分の1.シードは均等に振り分けてあっても、どの山に入るかで結構違うな。二回戦のトコに入れれば一回分得だ。そいでなるべく山の真ん中…59・60・118・154・160!!この五校のどれかを…》 花井がくじを引くと84番で、対戦相手は85番の桐青高校となり、会場から盛大な拍手が贈られる。 「何?何?」 「こりゃ、お礼の拍手だな」 「何のお礼だよ?」 「花井が桐青引いたんだよ」 顔が真っ青になっている花井は取材を受けていた。 「西浦高校さん、初出場ですね。まずは初出場の抱負を」 「が…頑張ります」 「初出場にして去年の優勝校を引き当てた感想は?」 「が…頑張ります…」 《あ~ぁ、花井、囲まれちゃってんじゃん。あ、やっちまったな。一年の夏は初戦負けか》 「弱気は駄目!!」 泉の頭を片手で掴んで力を入れていくモモカン。 「イデデデデデ」 《心読まれた…》 「ちす」 「ちす」 《弱気は駄目…って言っても…》 《去年の優勝校ですよ…?》 《か、勝てないよね…。みーーんなスゴイスゴイ勝ちたくて。俺も…勝ちたいけど…去年の優勝校―…現実ってキ…厳しいな》 「勝てねえかな?」 「「「「えぇ!?」」」」 《どうやったそう思えんだ!?》 《能天気なの?それとも何か見えてんの?》 《馬鹿なの?やっぱ天才なの!?》 「全勝っても一年しかいねえ俺らの相手をしてくれるような学校相手に――だからな。どこも一回戦レベルで桐青とはレベルが違いすぎるだろ」 「阿部も弱気か?」 「まさか。きちんと打順を組んで田島を使えば一点くらいとれるだろ?」 「うん、だよね」 「監督、春の県大準々決勝以降のビデオ撮ってますよね?初戦はノーデータ覚悟してたけど桐青は露出が多いからある程度準備できる。バッテリーのクセとバッターのクセ分析してあとは守備で変なミスさえしなきゃあこいつが完封してくれる」 不安そうな栄口や泉。 「よし、それでいこう。でもそのためにはまだやるべきことがあるよ。ね、強い学校と弱い学校の絶対的な違いは何だと思う?」 「えぇ、設備?でも、グラウンド小さくても強いトコは強いしな」 「部員数もそうか…」 「じゃあ、えっと…」 「練習時間っすね」 「うん、そうね。強いって言われている所は練習時間が違うのよ。練習は量より質とかってレベルじゃなくてね、今の練習時間のままだとやりたいこと全部やりきる前に夏大が始まっちゃうんだよね。ウチには照明がないけど、知ってる?今の時期、4時半には十分外が明るいってこと」 《《《《4時半!?》》》》 「といっても4時半じゃ電車動いてないから5時集合にしましょ。夜は片付け含めて9時あがりにしましょう。それでも午後授業全部部活に当てるような学校には敵わないけど、ウチは人数が少ないから5時~9時で守備から攻撃まで一通りこなせると思うの」 《俺たちゃ、授業中座ってられんだよ》 「モモカン、バイトで肉体労働だろ!?」 「俺らは自分のためだけど…》 「シードに勝てれば、あとしばらくは楽だからね。一緒に頑張りましょう」 「西浦って軟式だった気がするけど、硬式になったのか」 「あぁ、成程ね。だから今年は初出場なんだ」 「点差つきそう」 「でも、ベンチ入りいじれねえから初戦は2軍ってわけいかねっすよね」 「控え優先で先発組むのかな?」 「他レギュラーでも準太が投げないとか…」 「夏の初戦だぞ。レギュラーが出るし、エースが投げるよ。去年と同じ道が俺達にも用意されてるなんて錯覚するなよ?夏大には道なんかないぞ。3年は一昨年の一回戦負け、スタンドで経験したから分かるよな?あの学年だって決して悪いチームじゃなかった。あの時、ウチに勝った北本南稜も二回戦で消えた」 「…っ」 「はははっ、びびらせすぎたか?1年生」 「何すか?俺ぁ別に…」 「大丈夫だよ、これが夏大ってことさえ忘れなきゃ勝つのはウチだ」 自転車に乗って学校に帰る西浦高校野球部員達。 「モモカン、本気だったな」 「あぁ」 「俺、ついていけっかな?」 「弱気は駄目!!」 モモカンのマネをして水谷の頭を掴む田島。 「…っだよ、田島かよ」 「あんま弱気だと西広にレギュラーとられるぞ」 「マジかよ!?」 「三橋!!抽選会行って来たんだろ?どうだった?」 「えっと…人が沢山…」 「そうじゃねえだろ、どこと当たったかっつうこと」 「あっと…桐青高校…」 「うわぁ、すげえ!!去年の優勝校じゃん!!」 「誰だ?」 「あ、浜田だ。おーい!!」 「おー、田島!!」 「同じクラスの浜田」 「何を集まってんの?」 「おぉ、泉も。おーす。あのさ、三橋、俺のこと覚えてないかな?」 「三橋はスゲーアホだけど、クラスメイトの顔くらい覚えてんぞ」 「いや、そうじゃなくて…小学生の頃…」 「コイツん家、学区全然違うよ」 「マジで!?」 「大体、浜田が知ってんなら俺も知ってるだろ?」 「2年生の途中で引越してったから泉は同じクラスになってねえんだよ。ウチと同じアパートに住んでた三橋じゃねえのかな…?もうなくなっちゃったけど山岸荘」 「あ!?」 「アパートなわけねえな。だって、コイツん家…」 「ギ…ギシギシ荘!!」 「そうそう、ギシギシ荘!!やっぱり。同じクラスになってからず~っと聞きたかったんだよな。あ~スッキリ」 「ギシギシしてんの?」 「そう。だからギシギシ荘」 「あの建物、築40年くらいだったよな。6畳1間でさ」 「何でアパート住んでんだよ?あんなでかい家あんのに」 「ウ、ウチは…駆け落ちだから…」 「うぉ、やっぱりお前の親、駆け落ち夫婦だったんだ!!そうじゃないかって隣近所で噂してたんだぜ。はー…でさ、ギシギシ層のヨシミと言っちゃなんだけど、俺、野球部の応援団作ってもいいかな?」 次回、「応援団」 ジャンル別一覧
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