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おはようございます。 週末に入りました。 コミュニケーションを意識する数年。 コミュニケーションに意識がいくと言葉がひっかっかる。 毎日の生活の中でも心にひっかかる言葉がたくさんある。 他の人が発信するものを読んでも違和感を覚えることが多くなった。 言葉にひっかかることもあれば、 その人の情報が偏っていることへの違和感だったりすることもある。
で、前回に引き続き 「支援」と「配慮」という言葉にこだわって書いてみる。
発達障害を抱えるこどもへの「支援」と「配慮」 簡単に言うと「支援」はしてもらうべきこと。 その「支援」をしてもらうことで、しなければならないことがスムーズに出来、 その子の能力の評価を高めることに繋がったり、 その子の能力を更に開花させることができることへと繋がっていく。
例えば、「学習障害」があるとどうしても学校評価や知能検査の値が低くなってしまう。 そうすると「知的障害」と間違って診断されてしまうことがあって 高等教育を受ける機会をなくしてしまう。 そんな時に「支援」は必要である。
では、「配慮」をどう捉えるか? 「配慮」は「配慮」を行う人にゆだねられる行為である。 「配慮」してくれたらうれしいけど、必ず「配慮」してもらえなくてもしょうがないな~。 のように。
「支援」はその児、者 側に立って考えるけれど、 「配慮」は「配慮」する人、環境側に立って考える。 簡単に言うとそんな感じだろうか?
けれど、そこで、アセスメント能力やコミュニケーションスキルが高ければ 「配慮」を「支援」へともっていくことはできるのではないかと考える。 そして、その児、者の状態によっては「配慮」を「支援」にしなければいけないこともあるのだから、 そういう交渉を上手にできると救われる児や者が増えるのではないかと思います。
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Last updated
2016.05.14 10:02:23
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