お疲れ様です。
本格的な雨になった名古屋です。
今回、弟子が講師デビューということもあり、
見守り隊にて参加。
受講生も遠くからお子さんをおばあちゃんに預けてのご参加。
障害のことに向き合えば向き合うほど
そんなものないんじゃないか?と思えてくる。
単なる困り感の数の原理に基づいて区分じゃないの?
視力が悪い人が多いから眼鏡やコンタクトレンズをすることが
当たり前になっている。
それを視力障害なんて言わない。
だから、私たちとは困り感のあるところが少し違っていたり、
困ることが少し多いだけ。
で、そのうち、困ることがある人が多くなったら、
そちらの方がマジョリティーになって私たちがマイノリティーになるのでしょうね。( *´艸`)
なって考えながら、
講座を聞いて、ゲラチェックしていた。
で、時々講座に加わって話をするのだけど、
「障害がある。」とか「ない。」とか
関係の無い人が決めるな!って思う。
少しの時間こどもを診たくらいでなにがわかる!
決めるのは、子ども自身と子どものことを一番良くわかっている保護者。
なぜ、学校の先生は「少し落ち着きがなかったり、時々パニックになったりするから、それをどうにかして。」なんて言うのか?
こどもは動きながら理解することもあるし、
パニックになってしまったのは、こどもが悪いのではなく周りの大人が悪いのではないのか?
悔い改めるのは周りの大人なのではないか?
なんて話していました。
子どもの可能性を最大限に開花させるためには
子どもが子どもらしく成長していくほかにないのだと思う。
見る目のない学校の先生の評価を上げるためじゃないよ~。
いろんな能力を獲得して高める必要があるのです
。
やまもと、最近は本当に軽度知的障害域、自閉症児の認知能力、言語能力
大きく伸ばす療育も自分に課せられた役目だと思っている。
ちょっと手ごたえ感じてる。
スタッフと一緒に頑張っているよ。( *´艸`)
障害あるとかないとかで世界を分けるのは良くない。
居場所もそんなことで区分してはいけない。
みんな一緒に助け合って生きていく。
やっぱり、マーブルワールドになって欲しい(笑)
引き続き明日も講座です。
頑張ってね。弟子。