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カテゴリ:映画
ひさびさの映画の感想。書き方忘れちまったぃ。。(汗)
こんなに美しい邦画を見たのはいつ以来だろうか? こんなに美しいデビュー作が、なぜこんなに酷評にさらされるのだろうか? なんて、思いました。この映画。 似たような思いにとらわれたのは、1982年の「爆裂都市」を見たときかな? 私、それほど作品の評価を間違ってはいないと思うけれど、やや判官びいきのきらいありってところかもしれない(笑)。 「爆裂都市」に流れていたアナーキーな雰囲気は、かすかながらこの作品にも流れていたように思います。 そして「キルビル」に対する70年代日本のサブカルチャーにあたるものが、この作品にも存在するように思った。 けど私には、それが何なのか、おぼろげながらしか理解できない。 キーワードは、日本のアニメ文化であり、ファイナル・ファンタジー(以下FF)に代表されるゲーム文化であり、その両方に大きな影響を与えている「ブレード・ランナー」をはじめとするハリウッド映画及び、アクセントとしてのサムライ文化(サムライ映画)だと思う。ふだん語られることは少ないけれど、多くの人たちが親しんでいるもの。その壮大なコラージュ、と言っていいのかもしれない。 「新造人間キャシャーン」もまた、この映画に取り込まれたパーツのひとつにすぎない。にもかかわらず、そのあたりを公開前に十分告知しなかったことが、批判の一因になってるんじゃないだろうか。それは、この作品のせいではなくて、映画産業のやりかたの問題だと思う。ただでさえ斜陽な映画産業は、この作品で興業的には成果を収めつつも、本来大切にするべき顧客層を切り捨ててしまったのかもしれない。まぁ、いつものことだけど。宣伝と内容が違うというのは、企業の姿勢が問われる問題な気がしてしまうのは、私だけだろうか。。 この作品は、神秘的な力(それはキャシャーンと呼ばれる、ある部族の、守護神のものらしい。キャシャーンの石像は映画の冒頭に登場し、その後も何度か登場する。最初はいかづちを両手に持っているが、その後は持っていない。ここポイントっす)によって導かれるヒトたちの話だ。映画のラストで「彼ら」の生き残りは、自分たちの間違いに気づき、<やり直す>ことにする。そのやり直し方には途方もない厭世観がにじみ出る。その厭世観は、ピュアだが悲しい精神構造から導かれたものだ。美しいけれど、そこからは何も生み出されない精神構造。だから画面は、ジョン・エバレット・ミレーの絵のように上品に退廃し、耽美的なのだろう。ひねくれた見方かもしれないが、その退廃と耽美こそがこの映画に下された作者自身の評価なのだと思われた。 話の細かい構造については、新作でなくなったら、またじっくり見てたい。 オープニングからの数分間は、FFに挿入されるムービーシーンそのものだった。FFのムービーシーンはビジュアル的には「ブレードランナー」の影響を受けてるし、語り口はハリウッドSF大作に学んでいる。でもこれは、日本の最先端のCGってことなんだろうし、繊細な感じでよかった。 舞台となる大亜細亜連邦共和国に風景として現れる文字には、どうやら領土におさめられているらしいロシア語はあるが英語はほとんど見かけない。今ほどはアメリカと密接な関係にはない時代の話らしい。 ファッションとして戦時下の時代のアートを取り入れ、しかしそれを通して思想的な共感は起こらないように処理している。大亜細亜連邦共和国の紋章は、遠めには明らかに菊の御紋だが、アップになると全然違う。どうせなら政局放送みたいなのも、昭和天皇の玉音放送ふうにやればおもしろかったかもしれない(「爆裂都市」ではそれやってて、いろんな意味で危険な雰囲気が漂ってました。。汗)。 脚本については、とりあえず構成は見事だと思う。 冒頭十数分間で、主要な登場人物とその基本的な関係を紹介する手順はあまりにも見事だ。真っ白な姿で生まれた<哲也=キャシャーン>は、殺戮を繰り返し、自らも傷を受け、次第に全身血まみれになっていく。それはまさに「人生」そのものだ。 台詞の語感はアニメみたいだったな。人物の描き方もアニメだ。一定の深さから先に行こうとしない。だから悪役にも深みがない。これは、人物を描写するにあたり、大人の視点をあえて取らないからこうなるのだと思う。アニメやRPGにはありがちな手法だろう。全知全能の視点ならぬ半知半能の視点(別名せびビジョン。。涙)と思えば、楽しめると思う。 (以下、ネタバレ) 厭世観の極みっすよ、この映画。。ラストで生命の歴史をいちからやり直そうと思うんです。。 今の世界はダメだ、ってことで。。この切捨て方はピュアとも残酷ともいえそうな気が。。 TVゲームのリセット感覚かもしれませんけど。。 東博士の手首には、第七管区出身であることを示す「しるし」があります。 そして第七管区のヒトには、命が複数(2つ?)ある可能性がほのめかされます。 それに関してなのだけど、 命が複数(2つ?)あると思われるヒトたちは蘇生前と蘇生後の虹彩の色が、違ってるような気がした。。 これって、ひょっとして、ヨメのためだけに作ったんじゃない? って気がした。。キリヤ監督。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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