|
カテゴリ:つれづれ日記
こないだやっとやり終わった「ドラクエ8」を友人くれちに送ろうと思ったけど、もらったばかりの年賀状が見当たらず、郵送できなかった。
しかもくれちとはネット上で会ってたのに、すっかり聞くのを忘れていた。。 こんな状態が長く続かないよう、だれぞわらわにくれちの住所を教えてたもれ(なんで女言葉やねん。。汗)。 こないだ死んだ取引先の社長の通夜が今日だった。 5日だか6日だかに、自宅近くの路上で心筋梗塞で亡くなったのだ。 なんでも3ケ日が明けた後は火葬場が混むらしく、遺体は今日までドライアイスで冷やされつつ、自宅に安置されていたらしい。 お焼香するときに遺影をしっかり見つめ、気持ちをこめて送ってきた。 私と故人は浅い付き合いでしかなかったが、記憶に深く残る取引がひとつふたつ、あったので。 人を送ることは自分の過去を送ることだ。 痛みの大きさは共有した時間の大きさの証であり、絆の深さの証であり、葬式では誰もがそれぞれの関わりの程度において、自分と向き合っているような気がする。 正直私は、「死は尊厳あるもの」という言葉には偽善の匂いを感じるが、「死を悼むすべての心」は尊ぶべきもの、いたわるべきもの、だとは思う。 ある人と共有した時間が、その人の死と共に自分の中から失われていく痛み。 自分の中からその人の存在が消えていくかのような痛み。 ごく軽い痛みしか感じていなかった今日の私は、その場に長くとどまってはいけない人間だったので、焼香を終えるとすぐ帰路に着いた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[つれづれ日記] カテゴリの最新記事
|
|