2011/05/01(日)11:12
西研「実存からの冒険」(知における冒険シリーズ)
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西研「実存からの冒険」(知における冒険シリーズ)
毎日新聞社
1989年刊
ポスト・モダンは、真理・道徳・理想にバッテンをつけた。
しかし、
≪ニーチェは真理という言葉にバッテンをつけるのではなくて、
真理の意味を新しく捉え返したのだ。≫
「真理があるから、人には生きる価値がある」のではなく、
「生きる意味が必要だから、真理が捏造される」
「人間はほんらい、もっと高揚しもっと力強く生きようとする存在だ」
≪真理があるのではなく、「真だという確信」があるだけだ≫
「各々の意識の底にあってそう信じさせているもの」があるはずだ。
≪<ルサンチマンにかまけてないで、いま自分としてどうできるかを考えること>。
そのために必要なのは、自分の心を確かめる作業だ。・・
自分の心に対して正直で、敏感であること。・・≫
≪ニーチェの全体から伝わってくるのは、
<人生には達成すべき目的もなければ義務もない。
深い喜びを味わって生きようとするだけだ>という声である。≫
カント的図式・・
主観-客観(主観によって秩序づけられた世界) - 真実の客観(物自体、混沌)
ヘーゲルの図式、ハイデガーの開示性・・
意識(主観-客観) - 物自体は存在しない
≪私たちが「すでに在ること」、このことは「私たちはいつも、特定の世界了解(=存在可能了解)
のもとにあること」と言い換えてみてもいい。
この特定の了解は、そのつどの私にとって先行して与えられているのであって、
私はまったく自由な状況から出発することはできないのだ。≫
「被投企性」=「特定の在り方=特定の了解のなかに投げ込まれている」
≪人間はそのつど特定の存在可能性とそれに相関した道具連関、
つまり特定の世界のなかを生きている。
それはいわば所与性なのであって、自在に交換することのできないものなのだ。≫
≪元気に生きるためには「自己決定としての自己了解」は大事なのだ。≫
≪自己了解とは、欲望の声を聴き取ること≫
自己了解の作業としたは、なにかのテ―マ、問題を立て、考えてみること。
問題が提出することで、他の人もその問題に対して、考え方を巡る討論が可能になり、
共感したり、触発されたりという関係がとれる。
<目次>
第1章 真理批判と〈生の肯定〉―ニーチェ
(キリスト教的道徳はなぜよくないのか―僧侶と善人の批判
〈力への意志〉という見方
〈ルサンチマン〉と〈畜群本能〉
ニヒリズムと価値転換
超人と永遠回帰
ニーチェの思想のまとめ)
第2章 可能性の了解―ハイデガー
(現象学から存在論へ
実存の基本構造
本来性と非本来性)
第3章 現象学=実存論とは何か
(〈ポスト・モダン〉・ヘーゲル・実存論
実存からの冒険)