ブット元首相暗殺!
混迷を続ける核保有国のパキスタンで、ブット元首相暗殺という最悪の事態が起きてしまった。10月にも暗殺未遂事件が起きたが、防弾車両のおかげで何とか生きのびることができた。ブット暗殺事件は銃撃、爆弾テロ、事故という諸説が流されている。政府側はサンルーフの事故による骨折が死亡の原因と表明しているが、パキスタン人は誰も信じてはいない。明らかにブットの命を狙ったテロによって抹殺されたと思われている。 1月の総選挙を目指して激しい総選挙が行われている最中なので、この暗殺事件が与える影響は大きい。ブットに敵は多かった。特にムシャラク政権とイスラム過激派という二つのグループから命を狙われたのでは、とうてい生きて逃れることはできなかったというしかない。国民をまとめることのできる人物がなくなると、パキスタンの政局は混乱するだけになる。1月の総選挙は白紙に戻るだろう。ムシャラクは暗殺事件を口実にして、過激派の討伐に乗り出すはずである。内戦は激しさを増すばかりになる。 パキスタンでは、ブットがカリスマ的な人気を持っていたので、PPP(パキスタン人民党)が選挙で勝利を収めるのは確実だった。課題は選挙が終わった後の政権構想にあったのに、肝心のブットがいないのでは、安定した政局は期待できない。軍事力を背景に独裁を強めるムシャラク大統領、暗殺自然で政権批判を強める野党勢力、暴走する過激派の3つの激しい争いが続く状況に変化はないだろう。軍用ライフルなどの武器が自由に手に入るパキスタンでは、力を背景にした政策は内戦につながる。 クーデターで政権を奪取したムシャラクは反対派を弾圧して、汚職容疑をかけられたブットは国外に逃亡するしかなかった。総選挙の日程が決まり、政権を目指して帰国すると、たちまち暗殺されてしまう。パキスタンで生き残ることほど難しいものはない。経済も最悪である。核開発による経済制裁から逃れるために、ムシャラク大統領は親米姿勢を強めてきた。米国のアフガニスタン戦争に協力さえもした。これがもともと反米思想の強いイスラム聖職者の批判を呼び込んだことが混乱の根底にある。 ブットの暗殺は避けられなかったのだろうか。ブットの誤算は、赤いモスク事件のときに過激派討伐を訴えたことにある。(赤いモスク事件とは、モスクに立てこもった原理主義者数百人を政府軍が殲滅した事件である)多くの犠牲者を出したイスラム原理主義者は、「ムシャラクとブットの命を狙う」という方針を打ち出してしまった。本来ムシャラクに向かうべき銃弾がブットに向かうことになった。長い逃亡生活で、ブットが変化したパキスタンの実情に疎かったことは否めない。暗殺はイスラム過激派の行動と主張されると、疑いたくなるのが人間である。いずれにしても、事件の混乱が続けば、戒厳令が待ち構えている。