12日の続き
日吉神社の帰り 姫野さんとつきのせさんお二人と合流した後 私達が次に向かったのは広隆寺。秦河勝が、聖徳太子から仏像を賜わり、これをご本尊として建立したとあります。秦氏族は、第15代応神天皇16年に日本に帰化したそうです。目的は ここにある竹林の中にひっそりと建っている桂宮院本堂(けいぐういん)夢殿形式の建築美を誇っている六角堂? 残念ながら 限られた時期のみ拝観ができるとのこと。塀越しに感じてみると なにやらここだけが特別な感じ 特に地下になにか埋めてあるような感じでした。その後 近くだからとのことで 通称 蚕ノ社 正式には木島坐天照御魂(このしまにますあまてるみむすびのやしろ)神社に行ってきました。ここも秦氏ゆかりの神社で 広隆寺の護法神ではなかったのかなと思っています。特にここで有名なのが 三柱(みはしら)鳥居という三角鳥居。大神神社の宮司さんによると大神神社の三鳥居と区別してあえてこう呼ぶようです。なぜ三角なのか?二辺が冬至、夏至の線に一致していて、対する一面は秦氏の古墳に面しているので、何らかの意図を持って造られた鳥居だとか、三角形を重ねるとダビデの星形になるとか、景教と云われるキリスト教の遺跡とも云われたりで本当の所は不明です。また、境内に入ってすぐの左手の奥には お稲荷さんが多数祭られているのですが、その正面には白清社とかかれた石で出来たイワクラ?古墳のような祠があります。奥には狐さんが狛犬のように置かれているのですが なにやら重く 生生しい風がありました。さすがに中にはいる勇気は無く表より参拝させてもらいました。ただあまりに 重苦しかったので 岩笛を取り出し 奉納。すると いままで静かだった竹林に一斉に鳥たちの鳴き声が響き渡り しばらく続いていました。あとで調べると この近郊には 秦氏にまつわる蛇塚古墳や多くの古墳が点在しているようです。ここは 同じ秦氏ゆかりの地ですが 全く異なる 別世界のような土地のエネルギーでした。京都には このように 時代時代で 様々な人たちがやってきては 自分達の子孫が繁栄するように 土地のエネルギーを操作したと思われる場所が点在しています。それは それぞれの世界感であり 正義だったのではないのでしょうか。いま私達はそこから何を学べばいいのでしょう。