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葵優太の「輝く日々」

葵優太の「輝く日々」

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2015.03.02
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カテゴリ:カテゴリ未分類
今日のブログで、何を書こうかなーと考えていたら、タイトルの言葉が浮かんだのでした。


才能について、考えるのは割と好きなので、才能に関して考えていたら

何かをやりたいんだけど、才能がないからできない・・・

という場合、それは才能ではなく、選択の問題なのですよ、と天使が教えてくれました。


そもそも、才能って何? と自問すると、かんたんなようで案外難しいことに気づきます。


身長とか、体重とか、貯金とか、客観的に証明できるものではありませんし、

才能がある、ない、という判断も、人によって違いますね。


ということは、才能とは、客観的な基準ではない、主観的な基準だと言えるでしょう。

才能は、あると思えばあるけれど、ないと思えばない。

といえます。


多くの人が才能を認める巨匠であっても、
自分の中では常に未熟だ、才能がない、と葛藤している例は、あると思います。

多くの人は、自分と比べて、あの巨匠は素晴らしい才能だ、というわけですが、
巨匠本人は、理想の自分と比べて、まだ足りない、全然未熟だ、と痛感するのでしょう。

反対に、周囲の人から認められなくても、
私には絶対才能がある、と思い続け、努力しつづけ、目指す栄光を手にした人もいるでしょう。

ですから、人生で何かを成し遂げたいと真剣に悩んだとき、

それができるか、できないかは、才能ではなく、選択の問題なのだと思います。


やるか、やらないか。

他者から評価される才能とは、しばしば成果に対する評価であり、可能性への評価ではありません。

つまり、やらない限り、はじめない限り、才能を認められることはあり得ないのですね。


一方、自分の中での才能とは、やりたい、憧れる、引き寄せられる、そんな感性の中で芽吹きます。

結果ではなく、可能性として感じられるのですね。


才能を考える時、

他者からの評価として考えるのか、

自分の中の可能性として考えるのか、

その違いは、とても大きいと思います。


でも、どちらにせよ、やらなければ芽吹かない、成果につながらないという点では同じですね。

自分の中の才能を感じたら、怖れずに挑戦しよう、

それが今日のブログの結論になりました。


僕自身に関して言えば、

スピリチュアルワーカーになりたいと思ったので、市役所をやめて独立しました。

その結果として、今はスピリチュアルカウンセラー、ヒーラーとして活動しています。

才能に関しては、自分ではあると感じていますし、他の人がどう評価するかは、その人次第だと思っています。


その他にも、小説家になりたいと思ったので、少しずつ本を書いては、姪にプレゼントしています。

はたして楽しんでくれるか、毎回ドキドキしていますが、おかげさまで好評です♪

そのうち、本を書いて出版したいと思っています。


僕自身の実感から言うと、

やりたいことをやるのに、才能はいらない。

といえます。

だって、楽しいことをやるのに、他に理由はいりませんよね?

葵優太

http://www.yuu-ta.com/









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最終更新日  2015.03.02 19:07:14



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