正信念仏偈
【意訳(5)】道綽禅師(どうしゃくぜんじ)は、聖道門(しょうどうもん)では悟りを得ることが難しく、ただ浄土門によってのみ悟りにいたることができると断定し、いろいろな善根をつむ自力修行を退けて、仏徳がまどかにそなわっている名号を専(もっぱ)らとなえることをすすめられた。また、真実信心を、三信と三不信とに分けて懇切に教示し、「像法(ぞうほう)や末法(まっぽう)さらに法滅(ほうめつ)の時代になっても、如来は同様に大悲をもって導かれ、たとえ一生涯悪をなしたとしても、如来の本願にお会いするならば、安らかな浄土にいたって仏の悟りを開くであろう」と示された。善導大師(ぜんどうだいし)は、当時誤った仏教理解が多かった中で、ひとり釈尊の真意を明らかにされた。如来は、定善(じょうぜん)や散善(さんぜん)の自力の人も、悪逆の人をも憐(あわ)れみ、これを救うために“南無阿弥陀仏”の名号を因とし、その光明を縁ととされた。「本願の智慧の海に帰入し、金剛のことき堅固な心を得て、喜ぶ心が相応した時、韋堤希婦人(いだいけぶにん)と同様に三忍を得て真実世界の常住安楽を悟る」と説かれた。※三不三信(さんぷさんしん)…三心と三不心のこと。三心とは、真実の信心を3つの相で説示するもので、淳心・一心・相続心をさす。三不心は、その反対の不真実なる信心をいう。 像法(ぞうほう)・末法(まっぽう)・法滅(ほうめつ)…正像末の仏教史観によれば、釈尊入滅後500年は正法の時代(教えと修行と悟りがそなわっている時代)。その後の1000年を像法の時代(教えと修行があるが悟りはないという、かたちだけの時代)。さらにつづく1万年を末法の時代(教えだけが伝わっている時代)の三期にわけ、この後には、法滅、すなわち教えも滅する時代に入るとする。 定善散善(じょうぜんさんぜん)…定善とは、禅定心をもって浄土を観察したりする行のこと。散善とは、散乱した心のままで善を修める行のこと。 韋堤希婦人(いだいけぶにん)…マガタ国の頻婆娑羅王の妃。「仏説観無量寿教」には、わが子阿闍世太子に幽閉された韋堤希が、釈尊の説法を請い、浄土の教えに帰依することが説かれている。 三忍(さんにん)…他力信心にそなわる3つの徳。(1)喜忍。往生することを喜ぶ心。(2)悟忍。仏の智慧を悟る心。(3)信忍。信心の定まった心。(「お経がわかる本」 藤井正雄/総監修 (株)双葉社/発行 より)〔 わが家の宗教を知るシリーズ 〕