草莽の記    杉田謙一

2018/08/13(月)23:38

終戦の日岡崎戦没者慰霊祭にご参加を

お盆となりました。 昨日先祖の墓の清掃と墓参りを行い、昼と夜を子供孫らと食事、今日は私を除く皆は名古屋のレゴハウスだったかで遊ぶ。一昨日は恐竜展などに行き、孫らは大いに楽しんでいた。私は久しぶりの孫たちの様子を見られて大満足。5人の孫の一番上は来年入学のためランドセルを買ったよと見せてくれた。やっと寝たので事務所に戻る。宮司さんと15日の打ち合わせをする。予定は以下。昨年は城内にみえる一般の観光客にも呼び掛けて実施。慰霊祭には50人ほどがお集まりになってくださった。今年は暑いので野外の大扇風機も用意。多くの皆さんがお越しくださればありがたい。 終戦の日岡崎戦没者慰霊祭  岡崎城 第一部於;忠魂碑前 (11時半~11時50分)      司会     1、開会の辞2、国歌「君が代」斉唱3、戦死者の方々の安らかなるご冥福を心よりお祈りして「黙祷」4、神事5、玉串奉奠6、実行委員長 柏原文男挨拶7、来賓挨拶8、閉会の辞移動  アラモの碑前お祓い第二部会場内  (12時~1時)  .主催者挨拶  陛下のご挨拶拝聴終戦の詔勅来賓挨拶宮司挨拶県議・市議挨拶食事会 明日概略の清掃を成してくる予定。尚、一時から三ヶ根山ゆうとぴあでも慰霊祭が。私は急ぎそちらにも走る予定。靖国・県護国神社などにぜひ御参拝区dふぁさることを希望します。 盆の風景は本当に変わってきてしまった。 我が家では先祖の墓参りや仏壇のお磨き盆の提灯だしや飾りつけなどは当たり前のようにしているが新規に家を構える息子娘夫婦3世帯では亡くなった方がいないので仏壇もない。我が家に帰るときには参拝してくれるが日常には命の継承に心する機会はほとんどない。つまり核家族化になると神棚もなかったり、ご真影の額もない。 我が家は母が毎日経を読んでいるので、それなりに先祖への感謝の意識が育っているようだ。親戚に行ってもまず仏壇に手を合わせてくれる。 しかしこの気遣いもどこまで継承されるかわからない、忙しさにかまけて神棚の真木の交換もすぐ忘れてしまうのだ。 子供らが、地域のリーダーになっていくとき、良き伝統はどうなるか、心配である現実的な話で、昭和天皇今上天皇御即位記念の石碑が地元の神社にはあるが、来年5月1日に記念碑建立の話が出てこない。なんとか地元には建立したいが市内の他の神社でどれほど建立されるであろうか。不安である。 民主主義で決めれば、何もなさないと決してしまうでしょう。 私の教師時代、失礼ながら生徒のご父兄はほとんどご両親の歴史日本人が戦った歴史などお知りになられず無関心。この親御さんにより育ったこの生徒らをどう立派にすべきか、暗澹たる思いも本音では持っていた。 ご父兄の多くは大学で学んで見え、学歴が教師より高い方も多い。自然家では担任をさほど尊敬するような会話がない。先生を評価する不敬がほとんど、今ではモンスターペアレンツなどの出現で学校がなめられてしまってもいる 。祝日に国旗を出しましょうなどと担任が語ろうものなら親からのクレームや、評判落ちが待っている。 戦前を知らぬ世代があえて伝統の意義を求めて伝統継承を求めるいわばいばらの道を歩もうとする教師は生まれない。その使命感は全くないどころか日教組の主張を程度の違いこそあれ結果認めてしまっていた。  組合に入っていなかった私が校内放送で職員室にテ29分ストをやっている先生らの代わりに放送で「先生がたは職員会が伸びているのでしばらく教室に行けないから各クラスとも自習をしておくようにと話す現状があった。作用に左の運動に教師は反発しないし同化してしまっていた。 やはり意識的に動かねば良き伝統すら消え去ってしまうものだ。 大学も同様昭和40年代からは親の苦難に体験も薄れ家庭内での教育を受けていない学生は左翼教授の意識に染まっていた。公職追放されてまともな教授はほとんど見えなかった。名大経済はマルクス経済が必須。様々な供花でも左の立場からの政府批判はしょっちゅう。学生の本分は批判精神とばかりに一方的な価値観を学ぶしかないのだった。姉内閣になってやっと教育基本法が改正されて伝統教育が容認されるようにはなったが、あえて火中の栗を拾おうとする教師はいないまま。 さあて教育の再生をどうすべきか。急がねばならないことはわかっているのだが。 盆の間、しっかり考えたい

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