手を貸すということ
今メッチャ雷が鳴ってますわぁ~音がスゴイです(^^ゞ落ちたら困るなぁ~今日は「踊る大捜査線2」をやってましたねぇ~前にかずはこの映画のビデオを親戚の家で見たんですけど、相変わらず面白いですわぁ~役者さんたちの個性のぶつかり合いも面白いけど、ちゃんとキャラクター設定がしっかりしていて、テレビ放映の時も話が進むにつれてどんどんとキャラが確率されてきましたよねぇ~♪かずは主演の織田っちのファンでもあるんですわぁ~彼のデビュー作「湘南爆走族」からしっかりと見てますからねぇ~♪織田っちも好きですけど、やっぱり「いかりや長介」さんのしぶ~い芝居が好きなんですわぁ~丁度彼が亡くなった日は親戚の家で昼間「踊る」を見てたんじゃなかったかな?ちょっとそこんとこの記憶があいまいなんですけど(^^ゞ夜テレビのテロップで速報が流れた時、親戚の人たちとみんなでしばらく絶句して固まったのを覚えています。いかりやさんは かず にとってちょっと思い出があるんです。丁度かずが発病した頃のことです。病名を言われてもまだピンと来なくって、病状説明を受けたときも「先生、私最近山に登ってないんですけどぉ~」って真顔で言ったくらい(^^ゞ膠原病を高原病だと思って、高山病の一種だと思ったくらいなんですよぉ~まぁ後から聞いたんですけど、膠原病の告知を受けた人の大半は同じリアクションをするそうで( ̄▽ ̄;)ハハハッま、そんな話はこっちに置いといてo(..o)≡(o..)oその発病した頃、いかりやさんの当時の奥さんが亡くなったんです。かずと同じ病気だったらしく、当時の週刊誌にはSLEがしょっちゅう取り上げられていました。副作用のことや合併症のことなど、色々なことが書かれていました。いいことも悪いことも…メディアって本当に使い方によっては怖いものだと思ったんです。かずもこの直後にちゃんと先生や看護師さんたちから説明を受けたからよかったですけど、当時のマスコミはすごくこの病気を悪く書いていたことを覚えています。最近も病気をテーマにしたドラマが多いけど、昔の「不治の病」のモデルは膠原病だったそうです。そのころのドラマを見た人が企業の上の方に多いのかな?かずも以前、面接の時に通院をお願いするのに病気を隠すのがイヤで、正直に話しをしたことがあるんです。その時面接をした人に、面と向かって「この病気っていきなり死ぬんでしょ?」って言われたことがあるんですよ。その時は「誤解されてるなぁ~」って思ったんですけど、悲しかったですねぇ~誤解されてるって…昔と違って、ちゃんと薬を飲んで医師の指導のもとに生活をしていれば、普通の生活が出来るようになったんですけどねぇ~情報の片側だけを流すということの怖さを、身をもって体験したような気がします。その人をしっかりと見て判断して欲しいと思うですよ。企業だけでなく、普段の生活の中でも同じことですよね。良く聞くのは「障害者の方を見かけて手を貸したいけど、どうしたらいいのかわからない」っていう言葉です。確かに、かずの小さい頃は特にそうだったんだけど、健常者と障害者を完全に分離した学校教育だったんですよね。だから「どうしたらいいのか」っていうことを教わってきていないんです。目の不自由な方の場合は、手を引っ張るのではなく、自分の肩に手を乗せさせるということなんかは、普通の学校では教えませんもんねぇ~最近の学校はかずの頃と随分変わってきたようですけど、学校の授業の中にそういうことを教える時間を作って欲しいなって思うんですよ。高学年ではなく、本当に小さい頃から…