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夏の終わりに高校の水球部の練習を観た。これは全然駄目で、来年の今頃はまた「来年こそは」と悔しがっている彼らの姿が浮かんでしまった。
その練習の風景だが、チームのキャプテンが練習を指示しているのだ。彼は背も高くて多分泳ぎも速くて、プレーヤーとしてはそれなりの選手なのだろう。だからキャプテンに任命されて練習を引っ張っているのだ。 でもその構造は根本的に間違っている。選手が自分で自分を鍛えるなんてあり得ない。一番下手な選手はその練習でもうまくなるかもしれないが、練習を積んだ高学年生、つまり来年主力で戦うことになる彼らは決してそんな練習では成長しない。 人間は弱い生き物だ。成長するには実力以上の負荷を与えられ、無理矢理でも強制されて習練を積み、それでやっと出来なかったことが出来る様になる。自分自身ではどうしてもその「実力以上の負荷=ストレッチ」をかけることができない。それが出来るのは(それ以上練習すれば故障してしまうぞと警告されたりする)オリンピックに出る様なエリート層だけである。 たかだか高校生が、自分自身を鍛えることはできない。前時代的で今の自主性を尊重する風潮には馴染まないかもしれないけれど、「自主性」なんて人生のずっと後のことで、最初は誰でも強制されて基礎がつくものなのだ。 キャプテンに悪気はない。でもそんな自主練習では決して来年勝てませんよ。コーチから怒鳴られ、もう無理ですと言ってからが本当の成長の伸びしろである。早く気がついて欲しいなあ。 これは会社経営でも全く同じこと。自分らで「もうこんなもの」と思って毎日仕事をしている企業は決して伸びない。「そこまでやるか」、「そこまで要求されるのか」と思ってから、すなわち目一杯ストレッチしてからが本当の「利益の源泉」である。経営者としては常に課題を与え負荷を与え、「能力を未来進行形で捉える」努力をしなければならないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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