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上の子供が中学一年生で、また日頃から会社経営やNPO運営をやっていたり、高校のクラブの後輩たちを見るにつけ、「なんのために(一生)学習するか」について考えることも多い。
毎日仕事をしていて、子供の頃からの「学習の成果」を発揮しているはずの場面で思うのは、知識はいつでもなんとでもなるということだ。知識が要らないということではない、特に専門知識がないとやっていけないこともある、でも仕事や生きていくために必要な知識は、必要になってから調べたりそれを知っている人に聞いたり頼んだりすればたいてい解決する。今みたいにネットが発達していれば、必要なデータや知識はクリックだけで手に入ることも多い。従って、知識を詰め込む「学習」にはあまり価値はない。 生きていくのに必要な能力とは、課題を見つけること、仮説を立てて実行して検証すること、調べ方を知っていること、知っている人を知っていること、自分の目で見て考えて各方面調整しながら実行していくこと、新しいビジョンを作ること、新しい仕組みを作ること、などだと思う。 そうすると「学習」の意義とはつまるところ、「頭を良くする」ためのトレーニング、「新しいことを考え出し実行する能力」を付けるためのトレーニングではないかなと思う。学生の頃にやった受験勉強の本質は(というかコツは)、「枠をはみ出さず、如何に考え過ぎずに短時間で解ける問題だけ解くか」にあるから、「答えの出にくい問題に対して新しい発想で試行錯誤しながら取り組む」ということからは180度反対側にある、「学習」だということが分かる。 会社が発展し生き残っていくためには、こうした「何かを生み出す能力」が絶対必要だから、「頭を良くし実行能力を高める」実地の学習が大切だ。学生も決まったことを決まった様にやるのではなく、何日掛かっても良いから「考えるトレーニング」をすることが後々の人生で役に立つ。水球ものんべんだらりと練習するんじゃなくて常に練習方法を編み出し、新しい戦略を編み出し、「発明」がないと強くなれないと思う。 なんでも一緒だなあと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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