高千穂の旅 三日目 仙巌園~鶴嶺神社
昨日も暖かいコメントありがとうございます私の一人立ちの成長を温かく見守っていただいて本当にありがとうございます いよいよ高千穂も最終ですこのブログを始めさせていただいたときに伊勢神宮にお参りに行かせていただきそして北海道~出雲~県北~那智~高千穂と順序よく呼ばれたことにとてもうれしく思いますそして今があるのですね石を使って神々様のご縁をつなげさせていただくのは本当にうれしく思います 高千穂のブレスの到着と感想が沢山寄せられて本当にうれしい限りです優しいブレスと言われる方もおればとても強いブレスといわれる方感じ方がそれぞれ違いメッセージにも色々な思いを教えてくださって本当にありがとうございます高千穂のご縁をつないでくださった皆様本当にありがとうございますどうぞ遠慮せずブレスや石たちに守られてくださいねそして今回はブレスも石もあと少し残っていますまだご縁のある方がいらっしゃるようですのでブレスや石がある限りホームページでお知らせしていますなくなり次第、終了になりますそれまではお知らせしていますのでもし、ご縁がある方や興味をもたれた方はご連絡いただければと思います さて、高千穂の旅もいよいよ最後になります休憩が多すぎて引っ張りすぎてごめんなさい最後の最後まで本当に素晴らしい旅でした 仙巌園でゆっくり見学した後、仙巌園の門の前でこのような風景に出会いました最初モデルさんかな~モデル撮影ね~なんて子供に話していたら違いますよ本物ですよ~って教えていただきましたお二人ともとっても素敵でモデルさんのような容姿端麗の方でしたこちらの旅でも結婚式に出会わせていただきました 那智の旅も那智大社での結婚式を見せていただきこちらでもメッセージを受け取りました子供たちと一緒に「おめでとうございます」にこやかにお伝えできそれがこの旅の最後の締めくくりの言葉でした 私にとってもそのようでおめでとうございますが私へもメッセージだったとははっきり昨日までわかりませんでした。今年は私が独り立ちする年世間でいうおめでたいようでその言葉が今週は色々なところから私の耳へはいってきていました さて仙巌園のおとなりに神社がありました 鶴嶺神社御祭神:初代島津忠久公をはじめとする歴代当主 とその家族鶴嶺(つるがね)神社は、鹿児島市吉野町の仙巌園と尚古集成館の間にあり、島津氏初代・忠久公以降歴代当主とその家族が祀られている神社です。維新後の廃仏毀釈後、島津氏が神道に改宗したために、明治2年(1869年)に、鹿児島郡坂本村山下鶴嶺(ツルガネ)(現鹿児島市照国町)に建立され、神社の名前はこの地名に由来しています。鶴嶺神社と亀寿姫(ジメサア)第18代島津家久の夫人となった亀寿姫も御祭神の一人として、鶴嶺神社に祀られています。亀寿姫は幼い頃豊臣秀吉の人質となるなど薄幸の生涯を送りましたが、心優しい人であったと伝えられています。また、良妻賢母の鑑とも敬われました。昔、島津氏の祈願所大乗院(鹿児島市清水町)にあった白地蔵は、いつしか『ジメサア』の名で親しまれるようになり、鶴嶺神社で分けていただいた紅でお化粧をして差し上げると女児が美しく育つ、あるいは鶴嶺神社におまいりすれば美しい女性になれるという信仰が生まれ、女性の美しさを守ってくださる神様として知られるようになりました。こちらの神社は飛び入りでお参りさせていただきましたなので最初はお参りの予定はなかったところなのですがご縁をいただけてお参りさせていただ行きましたとても質素ですがしっかりと守られている力を感じ取れる場所ですそして亀寿様のいわれも素晴らしいですねもちろんブレスもしっかりとお目通りしていただきました最後の最後までとりこぼしなくスムーズにお参りさせていただきガイドさんには色々な神々様のお話しや鹿児島の歴史など沢山教えていただき娘たちもとても可愛がっていただきましたそして、一緒にバスで旅行に行かれた方たちも必然で集まった方たちばかりのようで優しい愛で私たち家族を包んでいただき本当に素晴らしい心に残るたびとなりました 1月10~12日というこの時期に行かせていただいた意味もしっかりと教えていただき本当にありがたい旅となりこれからの新しいスタートへの道のりの一歩を作っていただけた場所になりました 神々様~夜神楽~ご来光~満月とすべてが順序よく積み重ね視させていただいたことに感謝です 長い高千穂の旅にお付き合いいただき本当にありがとうございますこうしてブログでお伝えできることは幸せですこれからも新しい自分の成長を楽しみながらブログを続けて生かせていただこうと思います よろしくお願いいたします いつも本当にありがとうございます 優しい時間をお過ごしくださいね 心より愛をこめて