熊野三山詣の旅part11
おはこんばんちわんこ!U^ェ^U!熊野三山詣の旅のバックナンバーはこちらに記載しています。熊野三山詣の旅のバックナンバー那智大社の続きです。那智大社の楠の御神木は まあるい穴があいてましてそちらに 護摩木を持って入ることができます。 御神木とおひさま!(*^_^*)! 那智大社のお手水舎 ひとしきり、神様に御挨拶と日々の感謝を申し上げ、社務所にて 神仏霊場の御朱印を頂戴しました。御朱印を戴くさい、宮司様と色々お話させて戴きました。ありがとうございました!(*^_^*)! そして、那智大社の隣にあります、西国三十三所観音霊場(さいこくさんじゅうさんしょかんのんれいじょう)第1番札所であります。青岸渡寺(せいがんとじ)へ。ようやく 一番札所に参ることができました。 御本尊は如意輪観世音菩薩様です。世界遺産である青岸渡寺内。。。びっくりの土足参拝OKでした。とても 素晴らしいお寺で、感動しました。 西国三十三所観音霊場についてちょっと説明を・・・西国三十三所(さいこくさんじゅうさんしょ)っていうのが本当だそうです。昔々、大和(奈良)桜井の長谷寺の開基である徳道上人という方が62歳のとき。病でお亡くなりになられ、冥途の入り口で閻魔様にお逢いします。そのとき、も罪深い人々があまりにも多く地獄へやってくるので日本にある三十三箇所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので、巡礼によって人々を救うようにと託宣をうけ、なんと、起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻され息をふきかえしたのでした。 そして、徳道上人は 宝印に基づき、霊場を定めたのでした。しかし、閻魔様の想いが人々に届かなかったのでしょうか?当時の人々に、このことについて信用してもらえず、普及には至らず、仕方なく、徳道上人は時が来るのを待つことにし、閻魔大王から授かった宝印を摂津国の中山寺の石櫃に納めました。それが718年のお話です。 そして三十三所巡礼は忘れ去られていたのです。それから時が流れ 270年後のことです。花山法皇が那智山に山籠していた折のこと、花山法皇の前に熊野権現様が姿を現しました。内容は 徳道上人が定めた 観音霊場を再興するように!とのこと!託宣をうけられて、文字通り三十三所の観音霊場を再興し、やがて、人々に広がっていったのでした。これが西国三十三所観音霊場縁起です!(*^_^*)!西国三十三所観音霊場にはそれぞれ御詠歌があります。御詠歌とは 三十三所を巡られた花山法皇が詠まれた歌なのだそうです。第一番札所 青岸渡寺の御詠歌「補陀洛(ふだらく)や岸打つ波は三熊野(みくまの)の那智のお山にひびく滝つ瀬」補陀洛(ふだらく)とは仏教語です サンスクリット語の音をそのまま漢字にあてはめています。意味はインド南端の海岸にあり、観音が住むという八角形の山を意味します。 お守りなどの販売所の所にこんな張り紙を見つけました。寺は人が聖なるエネルギーを感じた聖地に建てるから行くだけで体にいい。とは。。。。。百寺巡礼などで 有名な五木寛之さんのお言葉でした。何冊もシリーズ出ております。 親鸞(上)価格:1,575円(税込、送料別)こちらの上下巻が最新の書だと思います。まだ読んでないから 読んでみようと思っています。 親鸞(上)価格:1,575円(税込、送料別) 青岸渡寺をあとにして・・・三重の塔と那智の滝方面へ。。。読んでくれてありがとうございます皆様にHappyが沢山訪れますように生かされている喜びに感謝!ありがとうございます