興国寺城 @沼津市根古屋
興国寺城は、静岡県東部の駿河湾に面した愛鷹山の麓、地名では根古屋と青野の境にある、篠山という愛鷹山の尾根を利用して築かれている。築城は1487年ごろではないかと推察されている。戦国時代に関東一円を支配した北条氏の祖である伊勢新九郎盛時(北条早雲)の旗揚げの城として名高い城である。北条早雲は初め伊勢新九郎盛時と称し、姉北川殿が今川義忠の正室というつながりがあった。文明8年(1476年)義忠が急死すると、その後の家督争いで甥の今川氏親を助けた功により、長享2年(1488年)頃、富士郡下方12郷を与えられ、興国寺城主となったとされる。この後、盛時は明応2年(1493年)に伊豆韮山の堀越公方足利茶々丸を襲って伊豆国を攻め、戦国大名としての第一歩を踏み出す。その後、興国寺城は戦国大名による領地争い境界の城として争いの渦中におかれ、今川氏、北条氏、武田氏、豊臣氏、徳川氏の勢力下となった。興国寺城は、写真からは全容は分からないとおもわれるが、北から北曲輪、本丸、二ノ丸、三ノ丸と呼ばれる平場が直線に造られ、東側には清水曲輪と呼ばれる曲輪(城の中に造られる平場)が配されている。静岡県東部を代表する山城で、約113,000平方メートルの面積をもつ。 本丸の背後には、天守台と伝えられる高台があり、発掘調査によって2棟の礎石建物跡が見つかっている。瓦の出土がないことから、一般的な城のイメージにある「天守閣」ではなかったと考えられる。興国寺城の見どころは、大土塁(防御用の土の壁)と天守台背後に造られた幅20メートル以上もある大空堀である。また天守台からは原の市街と駿河湾の景色が良く見える。