かんなみ仏の里美術館 @函南町桑原
いったいぜんたい何故、函南町に仏像の美術館があるのか?前から気になっていたのだが、遂に行ってみた。函南の桑原という土地には、昔から24体の仏像が伝わり村人が薬師堂というお堂を建てて大切に保管して来たのだという。この24体の仏像を1990年代に調べて貰ったところ、このうち3体が鎌倉時代の仏師集団「慶派」の実慶という仏師が彫ったものと判明したという。「慶派」とは奈良県に存在した、名前に慶の字がつく仏師集団である。最も有名なのは「運慶」とその弟子の「快慶」であり、この2人の仏像は国宝・需要文化財に指定されている。「実慶」とは、運慶の兄弟子にあたり、伊豆の修善寺にある修禅寺(修善寺の地名は町の中心にある修禅寺からついた)の木造大日如来坐像を彫った仏師で、この像は国指定重要文化財となっている。実慶が彫った仏像は修禅寺の大日如来1体のみだったが、1990年代の調査で函南の仏像3体が加わって日本で4体となった。しかし、これまでは薬師堂に安置して盗難防止なども特に考慮していなかった函南町桑原の住民たちは突然重要文化財3体が含まれていると知り、安置場所に困り、美術館を建ててしっかりと24体の仏像を保管し、同時に広く世間に公開することとなったそうである。もっと凄いのは、源頼朝が石橋の戦いで大庭・伊東連合軍に敗れて散り散りになった際、源頼朝は真鶴の岩から船で千葉県に脱出したが、北條時政・義時親子は甲斐の国に逃れた。北條義時の兄北條宗時は時政・義時とはぐれてしまい、現函南町桑原の地で平家の武士の追討をうけて戦死したとされており、宗時の墓も存在している。北条時政が息子の宗時の死を残念に思い宗時の鎮魂のため運慶に仏像制作を依頼したが、運慶が多忙だったために実慶が仕事を請け負った。函南桑原で守られて来た仏像の中で、実慶が彫った阿弥陀如来像はこの時の仏像だという。従って北條時政も拝礼しているはずだし、顔が宗時に似ているといわれている。