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カテゴリ:明るく楽しく元気よく
平成23年9月4日(日曜日) <本日の工事進捗状況> 港区 Sビル 総合改修工事・・・・・・・・休工 青葉区 Yマンション 屋上防水工事・・・・・・・・休工 品川区 Uさま邸 外壁塗装&雨漏り補修工事・・・・・・・・休工 栄区 Oさま邸 屋上防水工事・・・・・・・・休工 葛飾区 Aマンション 屋上防水工事・・・・・・・・休工 江東区 Tビル 屋上防水工事・・・・・・・・休工 相模原市 Kさま邸 外壁防水工事・・・・・・・・休工 世田谷区 Aさま邸 外壁改修工事・・・・・・・・休工 日曜日の今日は全現場が休工。 この不安定な天気じゃ、仮に日曜出勤したくてもできない。 はやく、スッキリと晴れ上がって欲しいものだ。 西のほうでは甚大な被害が出ているし。 しかし、こんなに足の遅い台風は本当に珍しいね。 これだけ大量の雨が降ると、 緩んだ地盤が元の状態に戻るのに相当時間がかかるだろう。 あらたな台風が来れば、さらに被害が増える可能性もある。 どうか今年はもう台風が発生しませんように。 さて日曜日だが、 午後から都内で雨漏りの現調が3件。 北区→江東区とまわって最後のお客様が中央区の月島。 月島と言えば、言わずと知れた『もんじゃ焼き』の町だ。 西仲通り商店街を中心に、 優に50店舗を超える『もんじゃ屋』さん。 右を見ても左を見ても『もんじゃ屋』さんだらけ。 これだけあったら間違いなく迷うな。 事前に行く店を決めて来たとしても迷いそう。(笑) だって、どの店も美味しそうだし。 実は、『もんじゃ』には強烈な思い出がある。 そもそも九州・鹿児島の人間なので、 関東に来るまで『もんじゃ』なんて全く知らなかった。 『もんじゃ』という言葉すら知らなかった。 で、 生まれて初めて『もんじゃ』と出会った時の強烈なエピソードを・・・ 約25年前、北関東のある地方都市に住んでいた僕は、 ある日、6人の仕事仲間と駅前のお好み焼き屋さんに入った。 その店に生まれて初めて目にする『もんじゃ焼き』というメニューがあった。 『もんじゃ』って何? と、一緒にいる仲間に聞くと、 6人の中に、たった一人だけ『もんじゃ』を知っている人がいた。 僕を合わせた他の5人は関西や東北の出身者で、 みんな『もんじゃ』という言葉を初めて聞いた人ばかりだった。 で、一人だけ『もんじゃ』を知っていたのが大澤さんという先輩。 30歳ぐらいの、穏やかで優しい先輩だった。 普段は物静かなタイプの大澤さんは東京下町の出身だという。 『もんじゃ』について熱く語り始め、 我々『もんじゃ知らず』に『もんじゃ』を教えてくれると言う。 全員、それはありがたいと言うことで、 その瞬間から、大澤さんは大澤先生に変わった。 ここまでは良かった・・・・・・・・ 『もんじゃ』が出てくる。 大澤先生は、『もんじゃ』の何たるかを語りながら、 絶妙なヘラ(ハガシとも言う)さばきで、器用に土手を作り、 その中に、生地を流し込む・・・・・・・・ 湯気と煙が立ち昇り、旨そうな匂いがたちこめる。 今思えば、あの大澤さんが作った『もんじゃ』は、 下町仕込みの本当に素晴らしい味であったのだろうと思う。 だが・・・・・・・・ いかんせん、 5人は『もんじゃ』など見た事も聞いたこともない。 『よし完成!さあ皆の衆召し上がれ!』と、大澤先生に言われても、 『えー、まだ全然焼けてないじゃん』 とか、 『こんな生焼けみたいなもの食えねーよ』 とか言って、 誰一人として食べようとしない。 挙句の果てには、 『なんだか○○みたいで気持ち悪い』(自粛しました・笑) などと言い出す輩までいる始末。 普段は温厚で声を荒らげたことなどない大澤さんが、 この時ばかりは顔を真赤にして、 『これがもんじゃなんだよ!』 『これで焼けてるの!これでいいんだよ!』 と、激しく主張するものの、多勢に無勢。 『だって、こんな食いもん見たことねーよ』という暴論に言い負かされる。 だって初めてなんだからそれが当たり前なんだけどね。(笑) しまいには、 『大澤・・・作り方失敗したんだろ・・・そんなにムキになるなよ』 と、慰める人まで出てきたもんだから、 流石に大澤さんも諦めて、 『いいよもう!全部俺が食うから』 ということで一件落着(笑)となったのだった。 まあ、喧嘩になったり、険悪なムードになったりもせず、 翌日以降にも尾を引かなかったのは、 ただただひとえに大澤さんの温厚な人柄のお陰なんだが。(笑) で、 それ以降は、 その仲間でお好み焼き屋さんに行くこともなく、 つまり、 大澤さんが名誉挽回する機会がないままに時間がすぎていった。 そして、その時の仲間たちは、 仕事に区切りがつくごとに、 一人、また一人とその町を離れて行く。 自然にバラバラになっていつの間にか縁が途切れてしまった・・・・・・・・ 僕が生まれて初めて『もんじゃ』を口にしたのは、 それから数年がたってからだった。 葛飾亀有。 そこは本物の下町だった。 その時の僕の仲間はみんな下町育ちの人間で、 『もんじゃ』を知らないのは当然僕だけ。 そこでは『もんじゃ』を知らないほうが罪なのだ。 そして、 生まれて初めて食べた『もんじゃ』は強烈に美味しかった。 本当に美味かった。 めちゃくちゃ美味かったんだけど、 食べながら思い出していたのは大澤さんのことだった。 きっと、あの夜の『もんじゃ』も最高に旨かったんだろうなあ・・・・・・・ 大澤さん。ごめんなさい。m(_ _)m 25年の年月を越えて、この場を借りて謝ります。 ○○みたいと言ったのは僕じゃないけど、 生焼けと言ったのは僕でした。(笑) 本当にごめんなさい。 もし、また会う機会があったら、 一緒に月島に行って『もんじゃ屋さん』をハシゴしましょう。 ぜひ僕におごらせてください。 僕がおごりますから。 25年間『もんじゃ』を食べるたびに大澤さんを思い出している僕が。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年09月09日 22時24分33秒
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