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去年の今頃、海の中でしょっちゅう考えてたことを
最近になって、またよく思い出す。 コレは、あくまで私の持論であって、誰でもそう思うような 考え方なわけではないとは思うんだけどさ。 ちょっと文章にしておこうと思ってね。 == 最初の頃は、小さい波でさえ乗り越え、潜り抜けられず、 その先にアル、波に乗るという行為まで行き着かない。 何度か経験しているうちに、崩れる波を乗り越え、潜り抜け、 ようやく「波に乗る」という行為で遊べて楽しくなってくる。 崩れる波も多少のものは難なく乗り越えられるように なってくる。そのように、小波で遊べるようになると 続いて、もう少し大きな波に乗ってみたくなってくる。 すると、また乗り越えていくのが大変な波に飲まれて、 なかなか前に進めない時期が来る。 それでも挑戦していると、波を乗り越え、その先にアル 「波に乗る」という楽しい遊びができるようになってくる。 更に「波に乗る」という遊びの、「遊び方」も「遊ぶ場所」も 「遊ぶタイミング」も変わってくる。 「こうしたら、もっと楽しいかも。もっと気持ち良いかも。」 その頃に、ふと、波打ち際方面を見た時に、そのかつては 乗り越えられなかった波付近に、たくさんの人が飲まれている。 そこは、難なくクリアできるようになっていた。 あーー、一段上がったのかもしれない。と思ったりする。 そして、そこから、それまでの経験と習慣とその記憶に基づく、 新たな挑戦が始まるのかもしれない。 更に大きな波に優雅に乗って楽しむための試練が始まる。 私自身は、それでいいと思う。 でも、忘れちゃいけないのは、かつては私もその波打ち際 付近で、右往左往していた時期があったってコト。 ついつい忘れがち。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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