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はじめは、閉鎖的だった病室の雰囲気が、少しづつ変化を見せた。
お向かいの、腎臓病の女性は、5歳年上。 大きな目が印象的のおしゃべり好きそうな人だった。 彼女だけ、少しカーテンを開けてたので挨拶をしたんだけどね。 だるそうに身体を横たえていつも寝てたな・・・ 私の隣にいた人は、抗がん剤と放射線治療をしてた人。 一度も顔を見なかった・・・ 帽子をかぶって、30回の放射線治療が終わって、間もなく退院していったら、お向かいの腎臓病の女性が、ベッドを移ってきたので、カーテンを開けて話すようになった。 彼女は、明るいんだけど、けっこうわがまま。 家族に不満を抱いて、文句ばかり言ってたな・・・(笑) もう一人、膠原病の患者さんがいて、こちらもおしゃべり好きのオバサンだった。 一人退院した後は、急に開放的な雰囲気で、彼女達と料理の話をしたり、日常会話をする事が増えてきた。 入院してから、5日目ぐらいからかな・・・ 最初は遠慮もしてたんだけど、そんな雰囲気ではなくなってきたんで、どんどん話に入って言ったのがきっかけ。 長い入院生活になるなら、退屈しないですむしね。 そんなところに、入ってくる、品のいいご婦人や、中国人の学生さん、検査入院、短期治療の為の入院患者さんが出入りしてた。 窓際にいた膠原病の患者さんが退院したあと、私のベッドを窓際に移してもらって、明るい自分のスペースができたことも、気分的に違ったのかもしれないね。 私は比較的明るく元気な患者のイメージだったようで、部屋でも沈み込むことはほとんど無く、お気楽なノー天気娘をやってたみたい(笑) そして、リウマチの薬の副作用からくる難病のおばあちゃまが入ってきて、とっても辛そうだったんで、よく声をかけてたんだ。 同じ様にブレドニンを飲んでるんだけど、彼女は腸の中に病巣があって、その炎症のために下痢が続き絶食で、薬はすべて点滴だった。 胃と腸の内視鏡検査の為の下剤に苦しみ、そばにいてかわいそうなくらい弱っていたんだよね。 そのおばあちゃまとも、いつのまにか仲よくなり、よくおしゃべりしてたな・・・ 今は、お粥を食べられるまで回復して、もうじき退院だとか・・・ 「普通のご飯食べられるようになってから、退院にしてね、先生」って言って笑わせてた。 しばらくは、私のように安静を強いられるのだろうけど・・・ そして、退院日の一週間前、私の隣のベッドに、精神障害と腎不全を抱えた女性が入ってきた。 すごい人だな、というのが第一印象。 一日目は、私も翻弄され、明け方4時にぶちきれた(笑) 看護士さんから、彼女の大まかなところの話をきいたのと、婦長さんにコッテリしぼられてたのをとなりできいて、「ちょっと待てよ?これって、偶然でなく必然だよね」って思い、私は彼女と接してみようと思い始めた。 そのことは、看護士にも、医者にもそれとなく話しての上でなんだけど・・・ 医者も看護士も、私がカウンセラーの資格を持ってることは知らない。 でも、同室の仲間として関わることは可能だからね。 カウンセリングの中でも、ピアカウンセリングというのがある。 本格的に関わるわけではなく、関係性を重点において、気持ちを開放させていけたらいいなと、漠然と考えていた。 彼女にカウンセリングをするなんておこがましいんで、友だちになれたら、話し相手になれたらいいかな、という気持ちかな。 最初はどうなるかと思ったけど、トイレで夜中会った時、立ち話をしたのがきっかけで、打ち解けるのに時間はいらなかった。 彼女の抱えた問題も含め、病気の辛さも聴いていった。 部屋でも、彼女に話しかけてたら、彼女から話すようになってきて、カーテン越しではあったけど、色んな話をしたな・・・ 退院の日、メルアド交換して、今ではメル友(笑) 彼女から「なんか、すごく癒されたんだよね。だから、これからも付き合っていきたい」そういわれたときは、うれしかったな。 笑い声がでて、明るい表情になっていくのを、嬉しくみてる私がいる・・・ これだけ、1ヶ月の間にめまぐるしく変わる同室の人たちとの交流の中で、みんな元気になっていくのをみてるのが、すごく嬉しかったな・・・ 私のこと、かわいがってくれてね・・・ 沈み込まないで、笑っていられたのは、仲間達の支えもあったし、この同じ部屋の人たちとのかかわりもあったからなんだよね。 看護士が、驚いてたんだ。 この部屋は、他の部屋とは違うらしい(爆) 人との関わり、って、すごいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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