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2005.07.27
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カテゴリ:日々の日記
ども、おおにしです。

エロメールからもちょいと卒業(笑)

ただですね。やたらとおくってくるんですよ。
ほかにもいっぱい。。。(笑)

とにかく、いろいろ分析するのが楽しいので
いま、手口をいろいろと遊んでいます。

さて、ちょいとエロメールから卒業。

先週の情熱大陸、とってもよかったです。

でていたのは、大植英次。

いま話題の指揮者です。

指揮者というのは、コンダクトを振っているだけの存在ではありません。

1人1人がこだわりを持つプロの音楽家に
「あなたの耳はすごい。」
「あなたの意見には耳を傾けざるを得ない」
「あなたと仕事をすると楽しい」
という力量を一瞬にして体現し、みせつけていくものがないと
マネジメントなどできません。

つまり、オーラ無くして指揮者になれないし、
卓越した実力無くして、
暴れ馬のオーケストラを操ることなど
できやしないのです。

この大植さんは、ぼくのような音楽音痴が見ても
一瞬にして力量がわかります。

情熱的な目。
情熱的な語り。
情熱的なタクト。

すべてにおいて、彼の哲学が見えてきます。

彼の音楽なら、聞いてみたい。

少し前に御世話になったかたがクラッシックコンサートを
主催されましたが、そのときの奏者には感じなかった、
パッションを彼にはテレビを通じてでも感じました。


ぼくはクラッシックコンサートが嫌いです。

それは何よりも、聴衆のことが抜け落ちたものが
多いからです。

みなさんはクラッシックがすばらしいという。

けれど、クラッシックのコンサートに人は集客できていますか?

はっきりいって、小澤征爾クラスでもかなり厳しくなっていると
聞きます。

それはなぜでしょう。

それはクラッシックコンサートの大きな構造的問題を
抱えているからです。

クラッシックで有名でみなさんに好まれている
曲は全て50年や百年以上前の作品ばかりです。

今の曲ありますか?

そして演奏されているみなさん。

あなたの人生のすごさを表すものはすべて音楽家としての
キャリアだけですよね。


~音楽大学を出た。
~に師事した。
~大会において入賞した。


すべて、私には伝わってこない、マニアックな職歴の
履歴にすぎません。

あなたの人生のドラマがどこにあるのですか。

スキルが高いだけで、あなたのドラマがクラッシックの
どこに反映されていますか?

その疑問の全てを大植英次は解決しています。

指揮者としての哲学を感じるタクト。

そしてタクトの合間にかいま見る彼の音楽哲学。

そして、それが積み上げたオーラ。

誰が見てもわかる実力だからこそ、海外に、彼の
名前を付けたストリートがあり、そして彼を指揮者にしたいと
引く手あまたの声がかかる。

この人の指揮を見てみたい。

話しを聞いてみたい。

情熱大陸を見て、ひさしぶりに鳥肌が立った。

いま大阪フィルにいるらしい。

絶対に今年中に行くつもりだ。

指揮者としての彼の実力が、自分のなかの
教育魂を揺さぶるものがある。

指揮者としての哲学は、教育者としてのぼくの哲学とも
リンクする。

あの指揮者魂をぼくも身につけたいと思う。


*********以下 大植さんの人生ドラマ****
引用http://www2.cc22.ne.jp/~k_e.leya/ooue_eiji.htm

『才能は努力によって実を結ぶ』
何故にこのような才能溢れる指揮者が日本から生まれたのか、ブラッド・メルドーと共に知りたい思いで、ページを作った。
御両親の了解を得て、世界中が注目する現在の活躍と才能が発揮された由縁を紹介。

20年以上も前に聴いた大植英次氏のピアノに、吸い込まれるほどの感動で震えたことが、
現在でも、はっきりと心に刻まれている。
今、こうして日本中、いえ世界中を驚かせていることに喜びを隠せない。

幼少の頃、やんちゃで手がつけられず、ピアノを習わせれば、少しは大人しくなるだろうと思った御両親。
分離唱を含む音感教育をピアノと共に戸田繁子に師事。
小学3年生で既に3百以上の和音をマスターした、ずば抜けた聴力に、音楽の道をと勧めた師の目に狂いは、なかった。

広島市五日市中学校の吹奏楽部ではトローンボーン担当。
手が短いので、7ポジションが届かず、小指に糸を結んで県の大会に出場した。
ところが本番中に糸が外れ、楽器は客席に飛んで行った。
そのため、今まで一位を独占していた五日市吹奏楽部は次点に。
トローンボーンに別れを告げ、シンバルに転向。
しかし、叩きすぎて壊した。次に手にした楽器はフルート。
吹きあげても大きな音が出ないため、最後はホルンに。

母の姉の同級生である、フルート奏者林リリ子が広島コンサートで来広した際、恩師、戸田繁子と共に会いに行った。
その時、指揮がしたいと英次氏は語ったが、希望する桐朋学園の高等部には指揮科はなかった。
ここからが御両親の悲鳴の始まりとなる。
毎月の東京行きフルート・レッスンは莫大な投資の始まりである。
林リリ子奏者から、フルートでは学園には入れない、口元がフルートに合わないと告げられ、
読売交響楽団の故黒沢勝義を紹介される。
「ドイツのベームに指揮を勉強しに行きたい。」と言う英次氏を無理だと説得する母。
「ホルンに変わらされるのなら中学の吹奏楽部で音楽を止める。」と新幹線の中で母を困らせる。
ところが、紹介された黒沢氏からホルンをプレゼントされたことにより猛練習、
桐朋学園に入学し新たな道が開けることになる。

指揮をかじもと音楽事務所の斉藤氏に師事していた大学時代、
指揮者小沢征爾氏がアメリカのボストンフィルを連れ帰郷、桐朋との合同演奏会を行った。
その時、大植英次氏は小沢征爾氏の滞在していたホテルに出向き、10時間以上も待ち指揮を更に学びたい事を告げる。
小沢氏はアメリカのタングルットにて毎年行われるボストンフィルの夏期講習を、テストなしで出席させてくれた。

その音楽祭は、町の人達がサンドイッチなど持参で気軽に聴ける野外音楽祭で、
指揮科の練習グループがピアノを交代に弾いていた。
大植氏がピアノ伴奏をしていたところ、
髭面のおじいちゃんが傍に来て、耳元でゴチャゴチャ言うため、「あっちへ行け」と言い、尚も弾き続けた。
しかし、野外音楽祭の主催者は、再び共に戻って来た髭面の人物を皆の前で紹介。
その人物こそがレオナルド・バーンスタインであったのだ。
大植氏は、これで音楽生命は終わったと思ったそうだ。
ところがバーンスタインは、彼の才能を見抜き、その後7年間、共に指揮者として世界を回ることになる。
広島の原爆平和記念コンサートに当時13歳だったバイオリニスト五島みどりが
大植氏の指揮でデビューしたことは記憶に新しい。

桐朋出身のバイオリニストの女性が、アメリカのボストン・ニューイングランド音楽院の受験のため、
大植氏にピアノ伴奏を頼んだ。
受験終了後、副学長が大植氏のところに来て、「君はどうするのか?本校に入学しなさい。」と勧められ、
まだ指揮科がなかったニューイングランド音楽院に指揮科を創り、奨学金の手配までしてくれ入学した。
その後、ヨーロッパ、ベニザルツブルグ音楽会で指揮部門堂々の一位。
卒業後、ボストンユースの音楽監督に就任。
監督就任を告げられた時、驚きのあまり、一旦部屋を出て廊下に行き、再び部屋へ戻り、
「もう一度言ってくれ」と笑いをとる。

ロンドン、パリなどを駆け回り、その度に膨大な出費に御両親の悲鳴は続いた。
心配の余り、彼の妹をアメリカに行かせ、様子を見て来てくれと頼んだところ
「今に日本の星になって戻ってくる。大変な努力をしている。」との言葉に安堵した。

彼は度々ウイーンへ行き、厳しい規律の中、原本のスコアコピーを買っている。
ここに大植英次氏を今の座に導いた音楽がある。
作曲者の想いをとことん掘下げ吸収したのだ。
故にパワーだけではない、緻密、綺麗、滑らかな音と賞賛される奥義がある。
才能と共に、恵まれた出会い、努力があってこそ、本物の実が結ぶのである。

95年、38歳でアメリカのミネソタ管弦楽団の第9代音楽監督。
98年10月からはドイツのハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーの首席指揮者。
2000年9月、ハノーファー音楽大学の終身正教授。
55年間、朝比奈隆氏が指揮を務めた、大阪フィルハーモニー交響楽団の後任指揮者として、
平成15年5月9日10日 第368回定期演奏会において、マーラの「復活」で一躍日本中を魅了。
2005年には、ワーグナーの聖地バイロイト音楽祭において、
アジア人では初めての大植英次氏が「トリスタンとイゾルデ」を指揮することが既に決定している。
人を魅了し離さない天性の明るさと会話は、大阪の地に既に溶け込んでいる。15/06/20





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Last updated  2005.07.27 11:11:29
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