2020/08/19(水)13:21
「島の子」52号より~archives series 67(8/9)
K小中学校の卒業文集(1999年3月発行)より
K小中学校は県北の離島にある小中併設校である。新採の時に勤務したM島がK島のすぐ西に、20数年前と同じように浮かんでいた。M島のM小中学校には新採として3年間勤務し、1997年4月、今度は再び縁があって新任教頭として隣のK島の小中学校に赴任したのである。
新採時代に勤務したM小中学校は、その後児童生徒がいなくなって休校状態だった。しかし、自分がK小中学校に赴任する1年前、小学校がK小学校の分校として再開していた。それは、自分が新採時代にM中学校で担任した生徒の子供たちが小学1年生になったからである。
M分校の児童2名は月に1回、本校であるK小学校で学習し給食も一緒に食べた。自分の教え子の子どもたちとこんな風にして縁があったことは自分にとっても嬉しいことだった。
今でも県北の岬に立つと目の前に見える二つの島は、自分にとって思い出深い第2の故郷なのである。1999年、自分は2年間の勤務を終えてK島を離れることになる。まだ人事異動内示前の時点であったが、この「島の子」に、M島とK島に寄せる思いを五七五で表してみた。
「島の子」
(表紙は生徒作、中には児童生徒や教員のほか保護者の文も寄せられている)
K島とM島に寄せて 〇〇〇〇い イカ釣り灯水平線をあかく染めろ 老若の声弾みおり体育祭は 春告げる加唐の島の椿かなに 荷も人も心も運ぶ定期船ほ 仏の坂振り返りつつ登りおりへ 紅色に野イチゴ実り秋来ると 灯台の明かり夕凪照らしだしち 地と海のめぐみに謝して暮らしありり 離島からせ界へ発信インターネットぬ 塗り上げし壁画輝く波止場かなる 累代の霊なぐさめて石仏を をもと坂登れば広がる玄界の海わ 我先に飛び込む子等よ初夏の海か 神代から伝えられたるオビヤ浦よ 夜のとばり降りて潮騒聞こえ来るた 単身の夕餉に寄り来る子猫かなれ 歴史秘め小さな教会に祈りありそ 空高く上がる風船願い込めつ つわぶきの畑のあぜにこぼれたりね 願い事みな叶いそう満天の星な 波がしら白く飛ばして冬の風ら 楽々と舷とる漁夫のたくましきむ 難しいせりふ覚えて丈化祭う 海に落ちちぎれたテープの別れかなゐ ゐぬ飼わぬ古き戒め伝えたりの のどかさに身をゆだねたい春日かなお おいしい給食笑顔も一緒にいただきますく 栗拾う子等輝ける木漏れ日にや 山深く住みついているカラス鳩ま 松島を影絵に残し夕陽落つけ 消しゴムで消せない思い出山ほどもふ 古き良きならい伝える暮らしありこ 子等の声響いて松島活気ありえ 絵ハガキにしてしまいたい夕陽かなて 手作りの刺身並びおる宴かなあ アジ釣りのさおが並んで秋深しさ 最北端刈尾岬の雄大さき キタビラになずなゆらして風薫るゆ ゆうすげの花咲き加唐に夏来るめ めざましのテレビで加唐も有名にみ ミサゴ舞う豊かな海と大自然し 時化の海越え来る船の頼もしさえ 笑顔見せ園児の坂を登りたるひ 響き合う心と笑顔で島興しも 物よりも心の豊かさ満つる島せ 瀬渡しの快速船で夜を裂くす 筋道を立ててスピーチのうまくなり
何を書こうかと考えたら、沢山ありすぎてまとまりませんでした。結局、
がらにもなく句とも川柳ともつかぬ五七五となりました。 映像や音声などの具体化された情報が圧倒的に多い現代ですが、読む人の
想像力に働きかける書き言葉の情報量の多さに改めて驚きました。あまりう
まく書けませんでしたが、行間の想いを読み取っていただければ幸いです。 (1999年3月記)
結局この年の3月末、私は2年間の勤務を終えてこのK島を離れました。しかし、今も上の句の中にある「オビヤ浦」が取り持つ縁で、K島の人たちと一緒に、韓国の百済の都があった公州市の市民団体の人と交流を続けています。
K島には、「オビヤ浦」という小さな入り江があり、ここで百済の第25代王である武寧王が生まれという伝承がありました。日本書紀にも「各羅嶋」という名で登場します。このことが、公州市で武寧王の古墳が発掘されたことにより証明されたのです。
「神代から伝えられたるオビヤ浦」
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