サブタイトル:『心はナイーブで、常に受身である』
私のブログでは、今までにもアンタッチャブルなサブジェクトである宗教、心霊現象、ストレス、自己啓発、精神的な病などについて、バッサリとはいかなくとも、多少遠慮がちに言いたい事を書かせていただいているが、今回は『心』という誰も明確な答えを持っていない脳内領域を自分なりに解釈したので、ご紹介させていただくことにした。
人間に『心』というものはあるのだろうか。
養老孟司氏は『唯脳論』で心は脳の機能の一部だといっている。
また、慶応大学の前野隆司氏は『脳はなぜ「心」を作ったのか』で、「自分」と<自分>、『私』等の存在や『知、情、意』などで脳が心を作った必要性を唱えている。
私の意見は上記の著名な博士達の意見とは、また少し異なるのである。
実は色々な経緯から、前野博士から直接、直筆サイン入りの本をわざわざニュージーランドまで贈っていただいたのだが、100%賛同できなくて少し恐縮している。(-_*)\
ちなみに、『心』の広辞苑第五版(ちょっと古い?)の説明は以下の通りである。
尚、例文や古文等の引用は省略した。
こころ【心】
(禽獣などの臓腑のすがたを見て、コル(凝)またはココルといったのが語源か。転じて、人間の内臓の通称となり、更に精神の意味に進んだ)
人間の精神作用のもとになるもの。また、その作用。
知識・感情・意志の総体。「からだ」に対する。
思慮。おもわく。気持。心持。
思いやり。なさけ。
情趣を解する感性。
望み。こころざし。
特別な考え。裏切り、あるいは晴れない心持。
(比喩的に用いる)
おもむき。風情フゼイ。
事情。
趣向。くふう。
意味。
わけ。なぞ解きの根拠。
(歌論用語) 内容。歌の主題・題材・発想などをいう。
心臓。胸。むなさき。
物の中心。
上記の意味が日本語の意味として、正しいかどうかはわからないが、間違いではなさそうである。
私も『心』という単語をたまに使うことがある。
ただそれは、自分にではなく、自分以外の人に何かを伝える時に限って使っている。
つまり、私は『心』とは、自分には存在せず、他人だけに存在するものだと考えているのだ。
『心』自体の存在はともかくとして、『心』という表現は必要であると思っている。
人に何かを伝えるには必要不可欠なのだ。
ちなみに、赤字の『心』自体の存在と、『心』という表現は全く意味が違ってくる。
少しトリッキーであるが、そこが『心』の落とし穴?なのである。(駄洒落ではありませんよ``r(^^;))
私は自分の脳の中には極力『心』という領域を作らせないように努めている。
なぜかというと、『心』の中の大半はいつでも無意識に変換される可能性がある領域が殆どを占めているからだ。
その証拠に、昔から『心』を使った表現では、『心ここにあらず』、『心ともない』、『心細い』、『心にもない』、『心を奪われる』、『心が動く』、『心苦しい』、『心のすきま』等など、『心』が無意識な領域に深く関係していることは、容易に理解できるはずだ。
また、『心』は常に受動的に表現される事が多く、どちらかといえばあまり能動的には表現されない。(『心を配る』など能動的に表現する事もあるが)
『心は(を)打つ』ものであって、『心が(を)打たれる』べきものではないと私は考えるのだ。
『心に残る』、『心が洗われる』、『心(が)あたたまる』等とはいうが、『心に残す』、『心を洗う』、『心をあたためる』等とはあまり聞かない。
たまに聞くかもしれないが、日本語としては少しおかしい気がする。
脳から見ると『心』はコントロールが難しく、尚且つ傷つきやすい分病気になりやすい。
つまり、屁理屈ではないが、自分に『心』があると思うと、当然ながら『心』が病気になりやすかったり、無意識の領域がある為に、『心』をコントロールし辛いということになるのだ。
逆に病気や無意識とは無縁な『心』だと、良い結果にむすびつくことになる。
このように無意識の領域をなくして、自分でコントロールできるよう、訓練あるいは導くことが、様々なセラピストの方、精神治療を行う方、癒し産業の方々の指導法なのだろう。
しかし、私が考えた結果、はなから自分の脳の中に『心』の存在自体をなくしてしまえば、無意識な領域を持つ事がないぶん、自分の脳と自分という存在をコントロールできやすいということがわかった。
今思えば、現に私はかなり前からこの思考法を実行していた。
なので、私はこれから先も一生、『心』の悩みや病に侵されることはないと断言できるのである。
くどいようだが、自分以外の他人には『心』は存在するのである。
それもやさしく、傷つきやすい『心』なのである。
だから、他人の『心』は大事にしたいものだ。
鬱病患者は自分でコントロールできる時と、どうしようもない時とがある。
言い方を変えれば、いつも自分で自分をコントロールできれば、簡単に完治するのかもしれない。
全ての病気やストレスは治したり、解消するのではない。
それら自体の存在を創らない事に限るのだ。
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