道程とは言っても高村光太郎氏の有名な詩『道程』とは余り関係ないが、かといって全く関係がないわけではない。
人が目標へ向かおうとする時、その道程(みちのり)がどういう状態なのか、つまり険しいのか楽なのか、登りなのか下りなのか、障害物があるのかないのか等を一瞬のうちにその人の脳がそう考えてしまう。
どうしてかというと、もし進む道に障害物がある、言い換えると何か目標が達成されなかった場合には、必ずその証拠(理由)が残っているからだ。
私は過去にそういう思考をしていたことがある。
だから人にこういう証拠(できなかった理由)を突きつけていたのかもしれない。
今思うと「ああ、この時に自分はその理由の障害物または道程に勝てなかったんだ。」などと今との違いを実感する。
話は全く違うが、その人にとって嫌いな人や苦手な人は好きな人以上に気になる時がある、ということもこの思考が関連する。
なぜかというと、嫌いな人や苦手な人達の存在そのものは今が楽しくない理由の一つのなので、これを克服しないと前に進めないこともあるからであり、その時点での一番の障害物なのだ。
つまりその当初の目標が達成されなかった(前に進めなかった)理由が存在する。
逆にいうと達成されやすいことには障害となるものが存在しない。
だから以前は諦めた理由を必ず持っていた。
ではどうすればそのような理由をつくらなくなるかというと、何に対してもその目標、あるいは自分が進む方向に何も障害物(問題)がないと考えることができればいいのである。
理論的には当たり前のことであるが、思考的には困難な場合がある。
一見この思考法は理想と思われがちであるが、決して理想などではない。
誰にでもできるのである。
やらない、あるいはできない理由という証拠を残してしまうと、その証拠がある種のトラウマとなり、その事に関してはなかなか前に進めなくなる。
なぜトラウマとなりなかなか抜け出せないのかというと、自分が創った理由を人生の軌跡に残してしまうからなのだ。
この場合、抜け出せないというのは、身体的または精神的逃避ではなく、根本的な解決が望めないという意味である。
勿論、一般に人は様々な逃避という手段により、トラブルから抜け出したつもりになる。
しかし、それは本来の解決策ではない。
ちなみに、その逃避さえできない人がいる。
そういう人がかなりの精神的なストレス(心の病)を抱えてしまうのだ。
では、逃避以外で解決するにはどうすればいいのだろうか。
自分が考えて創り出した障害物(理由)なのである。
その障害物を帳消しにできるような自分で前に進める理由を考えればいいのだ。
つまり、ポジティブに「この目標にたどり着くには?」とできる理由を考え続ければよいのだ。
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