|
カテゴリ:奄美大島
壇ノ浦の戦いで敗れ全国各地に散らばった
とされる平家の落人達。 実は奄美大島にも、逃れ着いた『平家の落人伝説』が 現在も受け継がれています。 平有盛、平行盛、平資盛…清盛の孫や甥に 当るのかな(?) この3人を武将とした平家勢に南、北、中心部から襲撃され 奄美は一時、平家によって治められていたとも… 支配後は島民との信頼関係も厚く中々良い島作り(?) が出来ていたようです。 そんな中でも、源氏の執拗な追っ手を思えば落人達に 心休まる日は、なかったんでしょか 毎日々…海を見下ろせる高台に見張り番を配置し 残党狩りに備えていたと言いますから切ないですね。 築いた城跡や見張り台跡に、平家落人を祀る為に 島民によっていつしか建てられた社はその数 奄美圏内、北から南まで3~4箇所(?) 内、今回は北大島の観光スポット【蒲生神社】をご紹介。 奄美の野生生植物が数多く生息する地としての観察目的をも 含んでいる為、駐車場から展望台まで綺麗に整地されて いるので、天気の良い日中は明るく、楽に進む事が出来ます。 なんて気軽そうに書いてますが…実は、奄美では色々と 曰く付のこの神社、夜な夜な落ち武者の霊が彷徨って いるとか、肝試しには打って付けの場所とされ私が ず~~と避けてきた所でもあるのです(^^;) でも…毎回欠かさず見ているNHKの大河ドラマ 平清盛に触発されて「これは、もう一度は行かなきゃ」 と、初めて足を踏み入れたのでした。 ~つづく 【展望台から眺めた景色】 見渡す限り周囲を海に囲まれた此処から、源氏襲来を 見張ってたのですねぇ。時には、栄華を極めた遠い都を 思い出す日もあったりしたのでしょうか? 低視聴率と言われるNHK大河ドラマ平清盛 日本の文化が初めて形成されたばかりと言える頃の 平安時代のお話しは第一、言葉そのもの、ややこしく難しくて 自分のオツムの弱さを感じながら必死で喰らい付いて見てましたが…(^^;) 先週の『白川院の伝言』で、清盛が出生を拒まれた訳が解明し ようやく、これでストーリーが繋がって面白くなって来ましたよ~ これまで【物の怪】って何のこっちゃ??って感じでしたから(^^;) う~ン。。。次回が楽しみ♪ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年09月08日 21時27分35秒
コメント(0) | コメントを書く
[奄美大島] カテゴリの最新記事
|