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Midnight Sun

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工藤 慎太郎

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2006.07.20
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カテゴリ:真夜中の怨み言
この前から書いてみたいと考えていたことがありますでの、ちょっと試みに書いてみます。

精神的に疲れてくると、他人と接することから逃げ出したくなります。

例えば、会社でハキハキと働いている部下を見ると、それだけで気圧されてしまって申し訳ない気分になります。
さらに言えば、今現在は日本にいる社長のことを考えると、それだけで苦しくなってしまう場合もあります。どういうことかと言いますと、私が働いている大連の会社は、まだ自社での収益を上げていません。それが心の負い目になって、社長のことを意識すると、もう逃げ出したくなっている自分がいます。

最近、このような「逃げ」の心の動きが、自分の中でどうしようもなく大きくなってしまう時があります。

さらにこの心理を自分なりに追求してみると、ものごとを考え判断する基準になる「自分」というのもが、すっかり薄い存在でしかなくなっている自分に気づきました。
「自分は何をやりたい」「自分はかくありたい」と、自らが生きる道を指し示すような心の動きは、すっかり絶えて無くなっています。

このような心の指針がない私のような人間は、しっかりと自己の座標を持って日々生きている人間と接すると、臆して逃げ出したくなるのです。

表層的な気分では、「ああ、この人にいま軽蔑されている」「見下されている」という、焦燥感・不安感が大きくなっていきます。
今の会社には、役に立つべき人間として雇われているはずなのに、それを達成していないという劣等感もあり、それがますます自己評価を下げてしまいます。

このことについては、今後また考えて書き直さなければならないかも知れませんが、つまるところ「自己意識」が、かなり希薄になっているようです。
さらに言えば、「自分の意識を他人に表明するのは悪いことだ」「自分が持っている意欲を他人に見せるのはその人を不快にさせるだけで、それは許されないことだ」という認識が、いまの私の中には、びっしりと植えつけられています。

どうしてこうなってしまったんだろう。

理由を考えると複合的なのでしょうが、いまの私は、「この人の影響だ」と断言できる人物がいます。

妻です。もう2年半ほど会ってもいませんから、私の中では「自分の妻である」という認識が薄れてしまっています。でもそれは、彼女から逃げ出してしまいたい、その存在をなかったことにしたいという、負の心の動きがあるからです。

私がうつ病になってからしばらくの間は、妻は私を支えよう助けようとしてくれていました。
しかし無職暮らしが長引きすぎました。端的に言えば経済的に貧窮してしまって、身動きが取れなくなっていました。それでも私はうつ病を理由に、働こうとはしませんでした。

次第に、そんな私を妻は責め立てるようになりました。

直接的に金銭を稼いでいないことを非難することは少なかったように思います。
それよりもつらかったのは、私がうつ病になる前の過去の話を持ち出してきて、「あのときあなたは、こんな酷いことをしていたのよ」「あなたの生活態度が許せなかった」と叫ぶことが多かったです。

これを書いている今も、つらいです。

過去は過去と、割り切って切り捨てるつもりではありません。
ただし、過去は消し去ることも出来ないのです。すでに存在してしまっている以上、私が生きてきてしまった過去は、消すことを許されずに存在しています。

妻は、同じことを取り出しては、何度も何度も私を非難しました。
病気で苦しかったのに、それを和らげるために接してくれるのではなく、非難をされ続けました。
「あなたに酷いことを言われた」
「あのときのあなたが許せない」
同じ過去を、何度も何度も掘り返してです。

私は、それをやめて欲しかった。だから妻に尋ねました。
「いまの俺はうつ病で苦しんでいて、そうやって非難されると苦しくなる。頼むからやめてくれ」
妻は答えました。
「病気になる前のあなたは怖い人間だったから、言いたくても言えなかったことなの。いまは病気で弱っているから言えるようになったのよ。だからやめる訳には行かないの」

こうして、逃れることも許されずに、妻の怨み言を受け止めさせられました。
もう本当につらかった。だからやめて欲しかった。だから、妻には頼みました。
「そうやって責め立てられると、ただでさえつらいうつ病がもっとつらくなる。頼むからやめてくれ」
妻は許しません。
「そうやって、うつ病が酷くなると言って私を脅すのね。その手には乗らないわ」

そのようなことが何回も繰り返されました。

その結果なんでしょう。
「うつ病は、その病気になった患者が悪いから」
「うつ病になったからと言って、周囲が甘やかしてくれると思い込むのは間違い」

うつ病で苦しんでいるは自業自得。
うつ病になった本人が一番悪い。
助けを求めること自体が、許されない甘え。

このような妻の精神教育が、すっかりと思考に定着してしまっていて、そこから離れられない自分がいます。
うつ病になってから、およそ6年近く妻と同居していました。その後半の期間、上記のような徹底した教育を受けていたのですね。

自分が悪い。
助けを求めるのはいけないこと。

この考えが、私には根付いています。
そのためか、他人が怖いです。逃げ出したいです。






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Last updated  2006.07.21 01:05:52
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