孤独というもの
久しぶりの更新です。これを書き始めている現在、中国は午前2時40分です。2週間前くらいにひどい風邪にかかってしまい、それ以来体調がすぐれません。風邪は治まってきたようなんですが、なんだか妙な咳が続いています。肺が痛いというわけではなく、胸の真ん中辺りに力がなく、油断すると激しく咳き込んでしまい、体力ばかりを消耗しています。ここ数日、気分的にもすぐれないまま、至極つまらない日常を過ごしています。体が弱っているのが先なのか、心が弱っているのが先なのか。ともあれ、始終くよくよとしています。昨日(土曜日)は出勤しなければならなかったのですが、外に出るという決断もつかずに、家で無為に過ごしていました。今日日曜日はおおっぴらに休んでいい日だったのですが、それでも何をするわけでもなく、一日が終わってしまいました。こうやって身も心も弱り果てたときには、決まって過去にあったつらい思いが繰り返し頭の中に去来します。それでも、日本にいたときのことは、かなり忘れてきました。もう日本に戻ることを許されない身の上ですから、どこか気づかぬところで忘れようとした結果なのかも知れません。今の私を苛んでいるのは、どうやら妻の側からは、精神的にはすっかり「切られて」いるだろうこと。もちろん、「お前は不要だ」という言質を与えてくれるような相手ではありません。それでも私が中国に着てから伝えられたことは、そういった扱いをされているという実感を、しみじみと与えてくれます。振り返って、今年の夏。制度上、まだ妻である人の両親が、大連に来ました。ちょうど無理難題に等しい業務が与えられていた頃だったので、土日も休まずに働いていたときでした。彼らが大連に来る前に妻を通じてメールが着ており、「もし時間が取れたら会って欲しい」と書かれていました。しかし業務でそれどころではなかったので、「時間は取れないかも知れません」というような返事を送っていたと思います。それでも「あなたの携帯電話の番号を教えて」というので書き添えて送っておいたのが、間違いだったかも知れません。彼らが大連に到着してきた頃、一度電話が鳴りました。業務中だったので、ロクな対応はしてなかったと思います。「週末にでも会えない?」という呼びかけにも、「無理だと思います」と答えていました。でも、実際には断りきれなくて、会ってしまうんですが。会ったのは日曜日でした。その日は複数抱えている業務の案件を調べるために、外出していました。なんとか区切りがついて、会社の人たちと遅い昼食をとっていたら、また電話が鳴りました。「私たちは明日日本へ帰るから、あなたは会いに来るべきよ」と強く言われました。そうなると断りきれませんでしたので、会社の人には理由を説明して、その場を離れました。彼らが宿泊しているホテルで、今度は早めの夕食を頂くことになったのですが、その席上でなにげのない決定打を浴びせられました。表面上は、いたって穏やかです。中国という外国にやってきたからでしょうか、義父があれこれと中国や中国人のよくない点をあげつらって語り続けます。さらに話題は韓国人のよくない点を指摘するのに移行して行きました。その話が一段落した直後です。義父が出し抜けにこう言いました。「そういやあんたは韓国人に似ているな」発言の意図は分かりません。ただし、そのときもそれからも、韓国人に事寄せて私を批判したんだろうと受け止めています。義父達から見て、私は批判の対象でしかなくなっていることの表れなんだろうということです。さらに追い討ちをかける義母の発言もありました。私と別居してからの妻子の話を軽くした後、「もうあの子たちは、ただの母子家庭だからね。心配で心配でならないのよ」と言っていました。そういうときに、どういった反応をすればいいのか分からないので、私は卑屈に笑っていたんだろうと思います。内心では、「法律上はまだ家族であっても、すでに彼らの娘と孫は、すでに私がいない現実を生きていて、精神的には私が不要になっている。それを母子家庭という言葉で表現したんだろう」と受け止めざるを得ませんでした。うつ病になってから7年近く、私には稼ぎらしいものがありませんでした。中古で購入したマンションも、ローンが払えなくなり自己破産。妻の実家からの借金と妻のパートなどで、経済的には生きさせてもらっていました。ただし、これは迷惑なだけの粗大ゴミの生き方です。ゴミですから、捨てる場所が見つかったら、早く手放してしまいたい。そういうことだったのではないでしょうか。あ、今日の最後にもうひとつ。ここに書いたようなことを彼らが目にすると、「私たちはそんなことはこれっぽっちも思っていなかった」と言うのは目に見えていますし、むしろ当然でしょう。ただし、受け止める側の私としては、ここに書いた以外の思考を辿ることは出来なかった。それは以前に書いた、妻の「あなたのことは、お友達だと思っている」という発言ともリンクしています。これについてはまたの機会に書きますが、別居するときに言われた再同居の条件が、いつの間にか変更されて無くなっていました。意地悪く受け止めれば、妻は「もう同居なんてしたくない。ただしそれを直接伝えたらどう反応するか分からないので、穏便にきりを見て既成事実を積み上げていく」と考えたのではないか。そんな思惑の末に、今のような状況に流れ着いたような気がしています。あ、訂正しておきますが、ここでは便宜上「妻」とか「義父」とか表記していますが、それは法律上だけの関係です。おそらく彼らの認識は、そういったものだとしか考えられないというところまで、伝えられてしまったと感じていますので。