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カテゴリ:中国の生活
七夕は旧暦の七月初七です。
「牛朗織女愛情物語」でお馴染みですが、この日は修真にとって重要な日です。 修真のための修行方法を知る師につかなければ、決して知ることができない秘密の内容が、そこに隠されています…。 夏の大三角といえば、ベガ、アルタイル、デネブですが、これは西洋で作られた名前。 中国での大三角形といえば、「牛郎」(河鼓)「織女」「天津」になります。 日本の彦星は牛朗(河鼓星官に属する)、織姫は織女(織女星官に属する)です。 そこで、混乱しやすいのは、二十八星宿の「女宿」と「牛宿」を織姫彦星とする説明です。 牛宿は牽牛星で、犠牲を表し、女宿は蝙蝠と関連し、どちらも下界(民間)の地位なので、天界の牛郎と織女とは全くの別物です。 女宿、牛宿は、下界(人間界)を指す。 天津は、天津市とはあまり関係ありません。 天は、天上銀河を指し、津は、「渡し場、橋」という意味です。 言い伝えや物語の中では、「河鼓」のことを「牛郎」、「天津」を「鵲橋」と呼びます。 星官の名前は、道教と関連があります。 織女は、天帝の娘。玉皇大帝(?)と西王母の娘。 牛郎こと河鼓星官は、天軍の大将で、軍の太鼓を意味します。 「織女星」は『真人文化の歴史』を物語っています。 牛朗と織女、牽牛星などは、『修真文化』を表します。 よって、七夕の日の天文は特別な意義があります。 山東省は、あいにく朝から雨模様…。でも、夜に期待したい…。 中国の天文学と甲骨易経を学び始めてから2年が経ちました。 古代中国の天文知識は、限られた役職(欽天監)のみぞ知ることができる分野でしたので、当時は、その天文図も観ることもちろん、その存在すら知られていませんでした。 時代が変わって、現代は、昔の天文図も公開されて誰でも見ることができるので、こうして学ぶことができています。大変有難い時代です。 専門知識を学んでいなければ、七夕の天文の説明を聞いても理解不能なので、今後も老師について、時間をかけて学んでいこうと思います。 夕方から雨が上がりました。 夜通し空を観察していた師姐が撮影してくれました。 嶗山では、はっきりと星たちが見えます。 この数日、観察することはもう一つ。 喜鵲(かささぎ)の観察。 織女と牛郎を繋ぐ『喜鵲の橋』。本当は、「天津」のことですがね…。 物語はこうです。 ラブラブ、ぐーたらな生活をしている二人を見かねた天帝が、「これではだめだ」ということで、 「七日に一回、河を渡って会うことを許す。」という令をだした。 それを伝えに行く鵲が、誤って「年に一度」と伝えてしまった…。 その罰が、 二人が合えるように、鵲橋をつくりなさーい。と言う…。 つまり、毎年七月初七のために、鵲たちが動員して橋を作るため、町から鵲がいなくなる…。 また、鵲ではなく、烏だという説もある。 実際は、鵲なのか烏なのか…、先生にもよくわからないそうです。 とはいえ、実際に観察しましたよ。 中国の北方には、鵲がたくさんいます。マンション内にもたくさんいます。 果たして…。 七夕の日、スズメはいたのですが、鵲は見ませんでした。 本当に…。 翌日、朝も見ません…。 夕方から、ようやく鵲の子の声が聞こえてきて、その翌日に大人たちが戻ってきました。 先生曰く、「橋作りで疲れたから、休んでいるんです」って…。 なんだか可愛い説明…。 この銀河の動きを追跡していると、その変化に気づきます。 しかし、やはり師が指導してくれなければ、一生知ることはできないと思います。 天文には道家の重要な秘密が隠されているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024年08月29日 13時38分37秒
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