国家一級博物館『青州博物館』
春節休暇中の二度目の青州。日帰りは、身軽で良い。山東省に越してこなければ、日帰りで二度も行くということはなかっただろうに…。青州博物館は調べて見たところ、大変貴重な資料があり(ほとんろは龍興寺のもの)、その宣伝プロモーションが大変魅力的で、とても美しかったので、是非行きたいと思っていました。しかも、「無料」と来たもんだ。中国では博物館の参観はほとんどがネットでの事前予約となっています。田舎だし、そんなに人も多くないだろうと思って、前日予約で間に合うと思っていたら、大間違いでした。2時間毎の予約制となっているのですが、3日先まで全て予約が埋まっているのです…。人口も多いし、無料だしな…。諦めるしかないか…。いえいえ、そんなことはありません。ネットでの予約はどこでもそうですが、団体予約と個人予約があり、ぎりぎりになると、必ずキャンセルが出るのです。入場時間30分前になると、50枚、100枚単位でキャンセルが出ることが判明しました。「キャンセル出た~!!」と早速、予約を入れようと、パスポート番号、名前、連絡先などを記入していると、1分以内にこのキャンセル枠はなくなってしまう…。(とろとろしすぎ)これを何度も繰り返し…。夜になって、ようやく予約が取れたのでした。まさかの前日になってのひやひや感。(たまにはこういう刺激も良い)青州博物館は、2008年に「国家一級博物館」に指定され、2017年には雲門山、古城を含む青州古城観光地として「国家AAAAA級旅行景区」に昇格したそうです。なるほど…。さて、初五は、財神を迎える日でもあり、年越し中の多くの禁忌が解禁される『破五』日でもあり、商売人はこの日から仕事始めとなります。今回はしっかり歩くつもりで少し早めに出発しましたが、鉄道の駅はやや混雑していて、車内は満席です。18分だけなので、いつものように、車内では立ったまま、車窓を見る。青州にも多くの観光客がいました。駅内のマクドナルドや売店も空いていて、前回よりも賑やかです。青州駅からバスに乗って、青州古城近くで降りて、散策しながら、博物館まで歩くことにします。観光地化されていない古城周辺は、古びた住宅街で、北京の胡同のなかの四合院のような造りですが、北京の洗練された貴族さはまるでなく、埃っぽくて、村里という感じです。石畳が良い雰囲気で、とても長閑…。20分ほど歩いていくと、観光地の古城となります。青州市には、清真寺(回族モスリム)、基督教会、仏教寺、道教道観があります。2022年の統計によると、青州の回族は2,3万人だそうです。「青州といえば、清真料理」北京では牛街が回族街となっていて、中国人は民族に関わらず、回族美食が大好きです。回族の肉食は、牛、羊肉がメインで、極力添加物は使わず、加工方法や調理法が独特です。観光地お決まりのストリートフードのようなものが多くある中(こういうのは、日本の中華街っぽい)、私は騒々しいのとファーストフードが苦手なので、人気のない、少し奥に入ったところにある隠れ家的なお店で、普通の炒め料理を出してくれそうなところを探して入ってみました。丸ごとの鶏や魚、エビ、野菜や豆腐などが棚に並べられています。手に紙とペンを持ったおばちゃんが、「いらっしゃい、何にする?」いきなり聞かれて、「えーっと、メニューは?」と聞くと、「辛いのがいいのか、大蒜炒めがいいのか、肉料理?エビ?魚?野菜?」とまさに中国式のメニューのない、指差し注文方式…。厨房では、大きな中華鍋(十数人分作れるタイプ)が二つあり、どの料理もその二つの鉄鍋のみで仕上げるタイプです…。(衛生面、大丈夫か?)地鶏肉は一羽売り。野菜料理もかなりの量のようなので、勧められるままに、地鶏と野菜料理の二種類にしました。二人では、とても食べきれない量でした。ジャガイモ炒め(酸辣土豆丝)は、唐辛子、酢、胡椒が効いていて、シンプルな家庭料理。北京で昔よく食べていた、懐かしの味で、とても美味しかったです。身の引き締まった地鶏はぶつ切りで、頭、脚、内臓(肝臓、腎臓、心臓…)もまるごと。脂が少なくて、骨際の肉を食べるタイプです。まるで、20年前の北京にタイムスリップしたかのような感じで、不思議な時間でした。南陽古城の南門は「阜財門」と呼ばれています。財冨栄華也。中には、道教の五路財神が祀られている「なんちゃって廟宇」があり、道士がお札を描いていました。古城から青州博物館まで1時間歩いて、ちょうど予約の時間となりました。青州博物館は、1959年に開館し、中国最古の博物館の一つだそうです。4万点が収蔵されています。先日お参りした龍興寺の仏像がメインとなっています。これは、すごいです。慈覚大師円仁さんの名前も書かれているのを見つけました。円仁がこの重要都市に到着したのは840年旧暦3月21日であった。 「円仁と弟子たちは龍興寺に10日間滞在し、この間に通行許可証交付願いを提出した。」とある。青州博物館の旧館は、2023年3月28日に閉館しており、今は新館に移っています。はて…。ここに来て、なんとなくフラッシュバックがあったのも。もしかしたら、十年以上前に来たことがあったかもしれません…。青銅器、玉、石碑なども見る価値があります。子供連れが多いのには理由があって、状元とゆかりがあるからです。山東省の教育への情熱は、都会とは異なり、伝統や文化にもこだわりがあります。「状元」とは、中国の科挙制度で最終試験で第一等の成績を収めた者に与えられる称号。1300年間で552名。日本、韓国などでもそうですが、大学受験においての競争が激しい中国では、子供の成績には大変気を遣うのです。青州博物館には、1598年状元の趙秉忠の試験問題が残されていて、「第一甲大一名」という文字とともに当時の皇帝の印もあり、この類のお土産物が飛ぶように売れるのです。現在でも中華圏での大学入試での成績最優秀者は「状元」と称されます。日本でいう「首席」と言う言葉に近いかもしれません。このエリアでは、家族連れが込み合っていて、私達は疲労困憊と酸欠により、写真は全くとっていない…。さすがに、朝からずっと歩き続けているので、人混みでどっと疲れが出てしまいました。12キロくらい歩いたようです。行きは20℃あったのに、16時過ぎて帰る頃には、強い風と雪がちらつき始め、3℃まで気温が下がりました。家について、足湯して温まると、また元気が戻ってきました。楽しかった~。しかし、何かひっかかる。博物館に入ってからずっと気になっています。もう何年も空けていないDVDケースから「気功と円仁ゆかりの旅」の記録を取り出してみると、ありましたありました。2010年5月16日に山東省をめぐる旅で青州もしっかり行っていました。しかも、このDVDのナレーションは私がやっているではありませんか…。おーい!自分、大丈夫か!当時は、日本の師匠の気功の団体と北京の気功の師、案内役の阿南ヴァージニア教授との調整役兼通訳で、観光と言うよりは業務感覚で緊張していたというのもあり、ほとんど記憶に残っていませんでしたが、こうしてまた呼び寄せられたのも何かのご縁があったということでしょうか。当時は北京から泰山、曲阜、青州、青島と観光バスで回りました。なんだか、気持ちがすっとしました。ご縁があって、呼ばれていなければ、連続で二度も行くことなどまずありませんから。14年もかけてまたこの地に戻ってきたのですね。