子供は、誰の『もの』??
明日から、大牟田では祭りが始まります。主人が待ちに待った大蛇山というお祭りです。…、ということで、私も、仕事をお休みして現在、穏やかな時間を過しております。そこで・・・、今日はニュース時事ネタを…。連日、ニュース・ワイドショーなどで、畠山鈴香容疑者の報道が流れています。ネグレクト・反社会的性格・初動捜査のミスを指摘…などなど、様々な視点のあるこの事件。本日、ゆっくりワイドショーを見ていたとき、ネグレクト関連の特集にぶちあたりました。そこで気になったのが、本日の表題の言葉です「(母親は)子供を自分のモノだと思っている」「社会も、子供は、母親のモノだと思う風潮がある」「子供は、母親だけのモノではない。 社会のモノだから、もっと地域が・・・」というような論調が、続いていました。また、日本では、子殺しの罪は軽いとか・・・殆ど、情状酌量の対象になるということ。これも、暗に「子供は、母親のモノという感覚があるんですね」という感じで伝えていました。うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん子供って、社会を含めた誰かのモノなの?確かにね。子供と母親の絆は、子供を取り巻く環境の中では、最も深いというのも、良く分かります。「いままで、バリバリ仕事してきて、 社会から華やかな存在と言われていた女性が 急に、意志の疎通が上手く出来ない子供と2人っきりで過すとなると イライラしたりするのは分かります。 ですが、時に虐待に走ったり、自分の人生を生きられてないと思い、 疎ましく思うのは、精神的に幼い証拠だと思います」という言葉も、ある一面での真実だと思います。んーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーでもね・・・。子供は、多分、母親のモノではないし。家族のモノではないし。社会のモノでもないと思うのです。まして、「モノ」扱いして良いものでもないような???強いて言えば、子供(の肉体を持った魂)は、子供自身のモノ。だと思うんですけど・・・逆の問いをして見れば良く分かりますよね。「大人は、社会のモノですか?」違和感がありますよね??(ただ、「妻は、夫のモノですか?」という問いには、 YESという人が、なんとなくいそうですね~。 これも、『所有物』肯定という、この論理に当てはまると思います。 後に、ジェンダー論も書きたい所です)だから、子供は誰のモノ?という、論調自体、少し間違っているような気がする。“子供の危険リスクを避けるための責任主体は、現在は、母にある事が多い”“いやいや、それだけだとお母さんは大変だから、家族にもあるはずだ”“いや、それは社会にも、出来る事や、担う責任がある”こうすりゃいいのになぁ。所有物のような『言霊』を使うから、自分のモノが、自分のいう事を聞く存在に育てたり、自分のモノが、自分の意のまま動く事を強要したり、自分のモノが、自分の人生を制限している事を疎ましく思ったりするんじゃないのかなぁ・・・。と、激しく思っていました。子供は、誰のモノでもない子供は、子供のモノ子供という、純粋無垢な魂が、社会の枠を認識するための責任を追うのが、大人の仕事だと思うんですが、どうなんでしょうか?