救出劇?
私は耳垢を採るのが好きである。自分の耳もさることながら、他人の耳垢を採るのも好きなのである。突然、告白されてもお困りになるだろうが、意外にもちまちますることも好きなのである(考えてみれば、鍼灸も、人のからだに広大な宇宙を想いつつ、やっていることは一見ちまちましている)。ある日、娘(2歳9ヶ月)の耳にふと目をやると、あるべき穴が塞がっている。そして、思わず涎が垂れてしまう程の集中力をもって、ことはなされたのだった。途中、遠く地球の裏側、チリの救出劇に想いを馳せた(不謹慎と怒られそうだが)。ほの暗い穴ぐらから、堀りだされ、日の目を浴びたのは…スケールといい、質感といい、見事な耳垢!年輪よろしく、娘の歴史を確かに刻んでいた。捨てるには忍びなく、ポテトチップスに混ぜて、誰かに食べさせたくなるほどであった。それにしても、耳垢を採る行為が自然に沿っているかというと、いささか怪しい。動物は耳垢を採るのだろうか?耳を傷つけるリスクを犯してまで、耳垢を採る必要があるのか、というと怪しいのである。耳の垢、糞であるから、風化して自然に還っていくのが本来の姿かもしれないのだが。おそらくはただの自己満足に、身をなげうって感動を与えてくれた娘に感謝。(ところで耳を心地よく刺激すると、副交感神経に作用して、リラックス効果があることを追記しておく。耳垢を採る際は極めてやさしく、相手に波長をあわせてやるのが肝要である)