出口のない空 (1985年8月12日)
あなたがクリックしてくださると、とっても幸せです!1985年8月12日、御巣鷹山の尾根に520人もの尊い命が散った日本航空123便墜落事故から、早くも21年の時が経ちました。 1985年8月12日 18時12分 羽田から大阪を目指して離陸した日本航空123便のボーイング747 SR100型 JA8119号機は、離陸から12分後の18時24分35秒、機体後方で異常音が発生し、圧力隔壁を破損。 同機はこの損傷により、垂直尾翼の大半と方向舵、APU(補助動力装置)を失い、同時に垂直尾翼に取付けられていた油圧配管も断絶したため、すべての油圧力を失いコントロール不能に陥りました。 事故発生時の機位は、相模湾上空、大島の北端と伊豆半島熱川温泉を結ぶ洋上。 その時123便の飛行状況は、高度23,900ftで巡航高度の24,000ft= 7,315mに上昇する途上にあり、速度310ノット(時速574キロ)、飛行針路は257度(西南西)でした。 123便は、"スコーク77"を発信。 以後、123便のコックピット・クルーは次々と異常な警報音や警告灯、計器表示の対処に追われたようです。 機長は事故発生46秒後の18時25分21秒、東京管制部(ACC)に異常事態を無線連絡するとともに高度22,000ftまで降下して羽田へ引き返すことを求めました。※【スコーク77】:緊急事態を表す最高度のSOS。 これにより、管制レーダーの該当機の飛行位置を示す輝点には、EMGの赤い文字が点滅してアラームが鳴ります。既に油圧がダウンして、事実上操縦不能の状態陥っていた123便は、機長の決断によって右に旋回し、高度を下げつつ、なんとか羽田空港を目指して飛行を続けますが、その操縦は困難を極めます。さらに、困難な状況下で123便の機長とクルーは飛行を続けましたが、圧力隔壁破損が発生してから31分48秒後、同機は操縦不能の状態で18時56分23秒ついに力尽き、樹木と接触してバランスを失い墜落したのでした。一度、アクシデントが起きれば出口のない空・・・ 当時の私にとっても、この出来事は生涯忘れることのできない鮮烈な記憶となっています・・・黙祷。 あなたがクリックしてくださると、とっても幸せです!●わだつみ判官実証のお奨め防災グッズはこちら・・・● ●南近畿の過ぎ行く夏を味わう旅、そんな息抜きの旅をしませんか●