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カテゴリ:奇跡のコース
また、Facebookの横流しです。<(_ _)>
ある人が、昨日のレッスン分(ここでアップしていない分です)で 「成長」って何なんでしょうか?とおっしゃったので ワタクシの独善的解釈をアップしました(/・ω・)/あーっぷ 欠点とは 「その人らしさの美点に”成長”するかもしれなかった個性だが ”理想的な子ども”という在り得ない基準のために 一方的改善要求を突き付けられたのちに本人に残る 「自分は理想じゃない」という呪い的呪縛。 で 成長」とは 本来その人が生きやすいようにその人らしさを伸ばした状態だが、 一般的に「あり得ない標準的な理想に近づく」という 喪失感、挫折感を伴うことを起点にした「いつでも私、いや、これから私、いっそう努力します!」という オカシナ意欲と満足感と「そうならなかった?」というおかしな不安を本人にもたらす 気休め的な”目標”にすり替えられている言葉 from ワタクシの手前辞書(笑)))) そこで今日のレッスンは・・・(以下コピペ<(_ _)>) 4月5日 昨日は満月で月食だったんだってぇ? 知らなかった・・・(笑) レッスンは253 My self is ruler of the universe. 私の自己が宇宙の主権者である 今日のレッスンはシンプルなルールの確認です。 冒頭からかましてくれます。 1、私自身から招かれずに私のもとにくるものはない。 2、この世界においてさえ、私の運命を支配するのは私である。 立派です。 主権者ならば、こう言い切らなくては。 覚悟です。 「もう絶対に被害者の位置にはとどまらないのだ。」という。 3、私の身に起こることは私が望んでいることである。 4、生じないものは、私が起こることを望まないものである。 5、このことを私は受け入れなければならない。 主権者ですから。 主権者目線で自分と世界を見つめ直す必要があります。 立ち位置を変えないと景色は違っては見えてこない。 どれだけこのことを疑ってきたのだろう? 昨日のコメントのところで「理想を押し付けられた被害者位置からの成長という幻想」についてちょっと書きましたが その被害者意識・・・ 楽にはなりたい、素晴らしい現実や未来も受け入れたい 素晴らしいパートナー、家族、 仕事、生きがい、 安定的な経済能力、 そして評価してくれ認めてくれ、愛してくれる仲間、 それらを私は受け入れたいと熱望するが、 でも、でもでもでも! 決してこのかつて与えられた痛み(被害者意識)は忘れない! 私にそれを与えた人たちが涙で反省して自分に許しを乞うて その人たちの方からこそ!態度をあらためること抜きにして 私は前には進まない、という意識 これを「呪い」と言わずしてなんと言うのか? だって、そう縛るのだから呪いでしょうに。 人を呪えば穴二つ、とはよく言ったもので その状態=恨み、痛みは捨てません、という態度の主権者は それに見合った世界観からもまた抜け出せないのです。 わかりやすいじゃん? 自分の世界に自分の理想の安らかさがないのなら それは呪いから解かれていないということ だったらまずは、その呪いから出る、と決めること。 呪いは誰かが貴方にかけているのではなく 自分でそこに留まることで作動する。 馬が前に進めないと泣いて、よく考えたら 自分で尾っぽを踏んづけていたというような バッドなジョークだ。 お願い、この足をどかしてください、と人に頼むより 「あれ?」って自分で一歩踏み出してみたら 外れるくらいの重しであった、というような。 でも、おかしなことに、その馬は、自分のしっぽを踏みつけているのを やめたら、誰かが罪を無罪放免にされて自分は一方的に損をする、と 調教師に教えられたんだ。 罪はある、と教えられたから。 だったらあるはずの罪はこれだ!と限定した。 でも、それを限定したのもまた自分なのだ。 調教師は「罪ってものがあるんだよね=イケナイことをしたね、されたね、」としか言わなかったので 戸惑いつつ、自分に痛みを探し、 それが自分のどれに値するか考えて発見したのが 自分で自分のしっぽを踏んづけているその状況だった、ということだけなのに。 足を踏み出せ。 そして笑えばいいのです。 なーんだ、これだけのことだったんだ、と。 http://lesson.spiritual-counseling.info/acim/253 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年04月05日 13時42分02秒
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