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カテゴリ:雑感
<はじめに>
近時「証言」をそのまま鵜呑みにしてしまう例を目の当たりにし,「これは証言の吟味,検証の方法を知りうる限りで明らかにしたほうが良いな」と感じました。 以下の記事が少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。 <「証言」を検証する方法を知ること> 私が今某大学の法職講座で教えを受けている石丸俊彦先生は,元判事なのですが,我が国では数少ない供述心理の研究家であらせられます。 その先生に教わった受け売りですが,「証言」と呼ばれるものの検証の方法を分析的に行いたい方,あるいは「証言」と聴くと信じたくなってしまうような方は,「証言」を耳にする際,以下に述べるようなことを頭に入れておくと,非常にスッキリするのではないかと思います。 とはいっても,極めて常識的な事柄を整理したものですから,聞いてみると「なんだそんなことか」と拍子抜けされるかもしれませんが,でも,しっかりと構造が頭に入った状態で「証言」を検証するのと,そういう頭がない状態で「証言」を検証するのとでは,やはり全然検証の精度が異なってくると思いますので,供述の構造を知ることは無駄ではないと信じております。 なお,以下の内容は石丸俊彦「刑事訴訟法」(成文堂 平成4年)を多少噛み砕いたものに,自分なりの味付けをしたものです。 <供述の構造を知る> 「証言」とは,法律的に言えば「供述」にあたります。 供述とは,人が知覚した内容を,その記憶に基いて,口頭又は文書により,言葉をもって表現することを指します。 ある事実を体験した人が,証言をする際,それは以下のような過程を経ることになります。 人がある事実を体験した場合,その人はまず五感でその事実を把握します。これを「知覚」といいます。 次に,その人は,その事実を経験や,知識を基に「評価」します。 この二つをあわせて「観察」ということができます。 その人は,観察したことを記憶に留め,その後に回想又は追想等して,その観察を復活し,又は再生し,その具体的内容を再確認します。これを「記憶」といいます。 人はこの記憶を言葉や身振り手振りによって相手に伝わるように他者に伝達します。これを「表現」又は「叙述」といいます。 以上のように供述は 知覚→評価→記憶→表現 という過程を経ることになります。 そして,このすべてについて「誠実性」が問題になります。これについては後に述べます。 さて,このような過程を経て出てきた言葉が正しいかどうかを検討するには注意すべき点があります。人は意識的に,又は無意識的に誤りを犯す存在だからです。 まず,知覚・評価(「観察」)については,どの程度注意して見ていたか,その当時の知覚器官の状態はどうだったのか,錯覚・幻覚の有無,経験の大小等が関係してくるので,証言する人間のこれらの状態について吟味する必要があります。 次に,記憶については,記憶力の程度,回想又は追想の際,必ずしもはっきりと確認しなかった事実について推測して補足してしまったり,逆に削ってしまったり,他の似た種類の記憶とこんがらがって記憶を捻じ曲げてしまったり,ありもしなかったことについて付け加えたりすることがありますから,そのようなことがなかったかどうか吟味する必要があります。 そして,表現については,用いる語句の適否,ボキャブラリーの多少,語句の意味を取り違えて用いてしまっていること等が影響しますから,この点について吟味する必要があります。 以上を検討することが,すなわち,供述の誠実性の検証にあたります。 上記から明らかなように,供述の真実性は,人が供述する際に,その人の供述過程に誤りが混入していないか確認するための要素を担います。 ところで,供述過程に誤りがなくても,供述が誤ってしまうことがあります。 例えば,その供述者が何らかの特定のイデオロギーに奉仕する心情の持ち主であったり,その供述により不利益を受けるものを極端に憎んでいたり,供述を誤ることによって利益を売ることが約束されていたらどうでしょうか。 その人の供述は供述過程に問題がなくても,誤りを混入し,結果として誤った供述が引き出されることになります。 このあやまりを吟味するための要素が,供述者の誠実性です。 <要するにどうなのか?> 以上抽象論でわかりにくかったと思いますので,具体例を用いてどのように応用したらいいのか,具体的に用いたらいいのか,を説明しましょう。 例えば,A君が浮気をしているところをB君が目撃したとします。 A君の彼女CさんがB君からA君の浮気について話をされる際,Cさんはどういう点に注意すればいいでしょうか。 まず,Cさんとしては,本当にB君はAが浮気をしている場面を見たのか確認する必要があります。 ひょっとすると,目撃したのが夜,照明のあまりないところだったせいで,B君が女性だと思っていたのはA君の友達のロン毛のD君であり,B君がみまちがえたかもしれません。あるいはB君は近視なのに,そのときメガネを忘れていたため,まったく見ず知らずの人をA君とみまちがえたのかもしれません。 これらをいちいち吟味してまずB君の「観察」の誠実性を検証する必要があります。 次に,B君がA君と浮気相手と思われる女性とあるいているのを目撃したのは何年も前の話なのに,突然思い出してCさんに話したという場合であったならば,Cさんとしては,B君がD君が浮気をしていたという話とごっちゃにしていないか,A君が一人であるいているところを目撃したのに,後で女性を付け加えてしまっていないか等,B君の「記憶」の誠実性を検証する必要があります。 さらに,B君が「浮気」=およそすべて女性と一緒にいる状態,と途方もない勘違いをしており,A君がゼミの友達Eさんと歩いているところを見て「浮気」と表現していないか,B君の「表現」の誠実性を検証する必要があります。 そして,最後にB君が実はCさんのことが死ぬほど好きで,なんとしてでもA君と分かれさせようと,Cさんに嘘を言っているかどうか,B君の供述者としての誠実性を検証する必要があります。 以上,すべての検証をし,いずれにも誤りが混入していないと確認できたならば,そこで初めてAは浮気をしているというB君の供述は信用できる,ということになります(その後はまぁ,Aを煮て食おうが焼いて食おうがご自由に,ということです)。 B君の証言が信用するに足るものだ,というためにはこれだけの過程を経なければならないわけです。 <検証を経ない証言は信用しない> 以上述べてきたところから明らかなように,人の供述,証言にはいろいろな事情から誤りが混入する可能性が大いにある,ということが明らかになりました。 これはおよそすべての供述に言えることです。 これらの検証を経ない証言を軽々に信用することがどれだけ危険か,実感できたのではないでしょうか。 まして,そのような検証を経ない証言のみで人の刑事責任を確定するなどという行為は,冤罪の極めて高い危険性を胚胎した恐ろしい行為です。およそあってはならない行為です。 検証を経ない証言は信用しない,このことはいつも心のどこかに留めておくべきでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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