運命の少女3(帝国の兄弟 番外編)
紅茶のカップがカチンと硬質な音を立ててソーサーの上にのせられた。ルルーシュはミルクと砂糖が入った陶器の入れ物をシャーリーの傍に押した。「落ち着いたか?」「うん・・・」目もとの涙をハンカチで拭い、シャーリーは頷いた。あまりにも唐突な再会に感極まって泣きだしたシャーリー、ハッと我に返ったルルーシュは当然の如く慌てた。状況だけを見ればルルーシュはいたいけな少女を泣かせた少年と言う事になる。隣を見ればいつの間にかロロは逃げ出すように走り去っており、さらにルルーシュを混乱させた。表の騒ぎに気を取られている為あまり注目を集めていないが、既に周囲の人々の数名が怪訝そうな表情で二人を見ていた。しかもシャーリーはこの街の者だった。咄嗟にルルーシュにできたのは、己が宿泊している宿にシャーリーを連れて来る事だけであった。宿に入る時の主人の驚いた表情がルルーシュをさらに悩ませるのだが、それは今は思考の外から追いやっておく事にする。「本当にルルなんだよね?」顔を上げたシャーリーがルルーシュの問いかけた。そのどこか不安げな顔を見つめてルルーシュは口を開く。「俺はそう思っている。この『記憶』が正しいものであるならば俺はアッシュフォード学園に通っていたルルーシュ・ランぺルージだ」「私もそう。ブリタニア人のシャーリー・フェネットの『記憶』があるの」「そうか・・・」「ロロもそうなの?」「あ、ああ、あいつもロロ・ランぺルージとしての記憶がある」そうなんだ、と呟いてシャーリーは何か考え込むように俯いた。「ねぇ、ナナちゃんはいないの?」「・・・いない。ナナリーは多分転生して来ていないんだろう」「やっぱりこれって転生なのかな?」ルルーシュは肩を竦めた。「現状を説明しうる可能性は二百四十七通り考えた。しかしどれも俺達の『記憶』だけが頼りで確たる証拠は無い。証明できない以上、その件に関しては転生という事にして考えるのは止めたよ」何にしろルルーシュにとって大切なのは今だった。過去を思い悩むよりも全力で生きる事に集中する、それがルルーシュの出した結論だ。ハッと何か思い当たったのか、シャーリーは顔を上げた。「転生って言ったよね?」「ああ、そうだけど?」「って事は、その・・・ルルも死んだの?」その言葉を聞いてルルーシュは静かに目を閉じた。どういった言葉で説明するのが良いだろうか。一番彼女を思い悩ませず心配をかけない言葉。そんな言葉は思いつかないものの、ルルーシュはゆっくりと言葉を選びながら言葉を紡ぎだした。「シャーリーが死んでその数ヵ月後に、ね・・・」「どうして!?もしかして私のせい?」「違う。どうしても必要だったんだ、俺の死が。俺が、ブリタニア皇帝が破壊した世界の平和の為にも俺は死ななければならなかった」詳しくは語らなかった。それでも概要だけは伝わる様に『ゼロ・レクイエム』の内容を掻い摘んでルルーシュは話した。再びシャーリーに泣き、ルルーシュはその髪を撫でてしばらく彼女が落ち着くのを待つ。そしてシャーリーが顔を上げた時、その過去の悲しみの残滓はなかった。それからは二人は割と当たり障りのない今の自身の境遇やこの世界と前世の世界との相違について話した。と言ってもルルーシュは自分の今の家庭については曖昧にぼかす程度に喋っただけである。寧ろ何も言っていないといった方が正しいのかもしれない。ただ母親は既に病気で亡くなり、父親とは滅多に顔を合わせないが息災で有りそれなりに良好な関係を築き上げている事。頼りになる大人達に囲まれているので生活に心配はない事。この街に来たのは人と会う約束があった事など、改めて思い返せば怪しい事この上ないのだが、その時のシャーリーもルルーシュもあまり深くは考えなかった。歯切れの悪いルルーシュの様子にシャーリーは彼の着ている服を見つめて考える。杖やマントは帯びていないから貴族ではないのだろうとあたりをつける。それなりに身なりは良い。ならば言葉の通り生活に困ったりと言う事はないのだろう。着ている服はシャーリー達の様な裕福な平民がが着ている型によく似た、控えめなデザインである。記憶の中のルルーシュよりは幾分か幼いが、そんな落ち着いた服装が良く似合っていた。自分の周りにいた同年代の少年達が遥かに幼く見えてしまい、きっとこれがルーク達が恋愛対象にならなかった理由なんだろうなと思った。「ねぇ、ルルって今歳は幾つ?」「ああ、十四だけど」「あ、同じだ。また同じ歳だね」些細な共通点が意味もなく嬉しかった。そう言えば前世でもルルーシュは家庭の事情は一切話さなかったなとシャーリーは思い出す。もしかしたら転生してきた家庭も複雑な環境なのだろうか。一度だけ家族について尋ねてルルーシュが暗い顔をした時の事を思い出し、シャーリーはこの疑問を胸の奥にしまっておく事にした。これからは時間は十分にある。いつかルルーシュから話してくれる日を待とう、そう決める。「あ、そう言えば人に会う約束って言ってたけれど大丈夫?」「いや、その・・・ちょっとマズイかな。悪い、シャーリー。話の続きはまた明日でいいかな?」「うん、私は大丈夫。ルルは明日もここにいるんだよね?」「ああ、しばらくここの宿に泊まっているから」「分かった。じゃあまた明日ここに来るね」シャーリーはルルーシュに見送られて部屋の戸の開く。しかしふと何かを思い出したかのように途中で手を止めた。「あのね、ルル」「どうかしたか?」「う、ううん、何でもないの。それじゃあまた明日」少しだけ残念そうに笑って、シャーリーは部屋から出て行った。ルルーシュは椅子に座ると片手で顔を覆うようにして大きく息を吐いた。まだ心臓がバクバク大きく脈打っている。自分が突発的且つ予想外な出来事に弱いのは以前から知っている事だったが、これは予想外過ぎた。自身やロロ、ジェレミアにロイドとセシルという例がありながら割と早くに出会えた事により、もうこれ以上転生者はいないと思い込んでいた。まさか彼女までこの世界に転生しているとは思わなかった。不意に部屋の戸が軽く数度叩かれる。「どうぞ」開けられる戸、戸の影からロロが恐る恐ると言った様子で顔を覗かせた。そしてその後ろからロロに入室を促す様な声が聞こえてくる。ロロが部屋の中に入るとその背後から蒼銀の髪の女性と宿の主人がロロの後を追って部屋へと足を踏み入れる。戸が閉められると同時に女性が杖を抜き、防諜の魔法を部屋に施す。それを見てルルーシュは急ぎ思考を切り替えた。瞬く間にアッシュフォード学園の生徒であったルルーシュ・ランぺルージが消えて、ルルーシュ・ヴィ・ゲルマニアの顔が浮かび上がる。「兄さん、その・・・」「いいんだ、ロロ。お前の気持ちは分かっている」前世においてシャーリーを殺したロロ。憎んだ事もあった。殺そうともした。だがロロもルルーシュも死に、新たな生を獲得した。「もう過ぎた話だ。気にするなと言っても無理かも知れないが、せめて気に病むな」「う、うん・・・」かつてシャーリーはスザクにこう言ったという。『許せない事なんてないよ。それはきっとスザク君が許さないだけ。許したくないの、きっと』「俺はもうお前を許した。ロロ、だからお前が考えるべきはこれからどう付き合っていくかだ」そう言うとルルーシュは交わされる会話の流れが理解できずに困っていた二人に向き直った。蒼銀の髪の女性に言う。「ヴィレッタ、報告を」「は、はい」急に問いかけられてヴィレッタは一瞬口籠るがすぐに元の落ち着きを取り戻す。「やはり貴族と盗賊との関与はほぼ確実ではないかと。銃を始めとする武器の幾つかは確実に盗賊共に流れていますし」「盗賊共が堂々と街に入るには貴族に雇われた傭兵という体裁を取るのが一番都合が良い、そう言う事か・・・」「あるいは傭兵を雇って盗賊の真似事をさせているのかも知れません」大通りでの出来事を思い出す。ルルーシュがこの街に来たのはある異常をヴィレッタから聞いた事が始まりだった。ヴァイレの街からアッシュフォード領の中心地ハンブルクへと続く主要街道、その街道のヴァイレ近郊で最近盗賊が猛威を振るっているという。何度も討伐隊を送り、見回りを行っているのだがさっぱり盗賊達は捕まらないらしい。被害総額もかなり膨れ上がり、この道を使用する商人達は困り果てているとか。そしてその報告はルルーシュの元には一切入ってこなかった。勿論今まで代理で領地を管理していたアッシュフォード家にもである。ヴァイレの街や盗賊の出没する地域は皇族の直轄領であり、現在は皇族ヴィ家、すなわちルルーシュの管理区域。そこでの異変は当然ルルーシュかその後見であるルーベンの耳に届くはずである。間違いなく意図的に情報が遮断されている。この異常事態をヴィレッタから聞いたルルーシュはロロやヴィレッタを連れて極秘裏に街を訪れたのだ。ジェレミアは当然の如く反対し自分も付いて行くと言い張ったが、他の親衛員と共にアリエスの離宮で大人しくしてもらっている。このヴァイレの街から離宮はそれほど遠くない。大きな火竜を使い魔にしているジェレミアならばすぐに飛んで来れる距離だ。加えて今回の調査はヴィレッタに対する採用試験的な意味合いも含んでいた。「やはりお前は優秀だよ、ヴィレッタ。この働きには必ず報いよう」「ありがとうございます、ルルーシュ様」ヴィレッタの家はとうに没落している。シャルル皇帝の粛清によって祖父の代で家名は取り潰され、領地を失い、その後の市井へ下っていく過程でほとんどの財産が失われていった。唯一残ったのはメイジとしての血である。魔法の才能に溢れたヴィレッタだけが家族の希望だった。だが一度爵位を失った者が再び貴族に戻る事は恐ろしく難しい。そんな彼女がルルーシュに仕えるようになった切欠は、アリエスの離宮に使用人として働いていた母親が無礼を承知でルルーシュにヴィレッタを親衛隊員として推薦した事である。無論、皇族の親衛隊は身分のはっきりとした貴族で構成されるものである。そこにヴィレッタが入る余地はなく、推薦した母親共々罰せられてもおかしくはなかった。しかしルルーシュは実際にヴィレッタと会い、様々な試験を課してその能力を試した。「今の所男爵以上の爵位の確約はできないが、領地と騎士候は約束しよう。勿論この件を無事解決してからの話だが」「Yes, your highness. 全力でご期待に応えます」「良い返事だ」ルルーシュの顔に支配者としての笑みが浮かぶ。ヴィレッタはそんなルルーシュの表情を見るたびに思う。到底まだ十四歳とは思えなかった。全身から発せられるオーラは今まで見てきたどの貴族よりも強い。幼くして既に人の上に立つ者としての威厳と迫力、そして実力を兼ね備えた少年、果たして彼はどこまで上へと駆け上がっていくのだろうか。彼女には想像もつかなかった。だからこそ、彼のこれからが見たいと思うのだ。その傍で親衛隊員として。「明日以降も調査を続けろ」「Yes, your highness」ヴィレッタがそう答えると、今まで黙っていた宿の主人が躊躇いがちに口を開いた。彼もルルーシュの協力者でありルルーシュの皇子としての身分を知っていた。だからなのだろう、このような事を言うのは。「あの、ルルーシュ様、先ほどの少女は・・・」にっこりとルルーシュは笑みを浮かべる。元来の美貌がさらに際立って、それは見る者を魅了する極上の笑みだった。だが宿の主人とヴィレッタの背筋に冷たい汗が流れた。彼等は瞬時に姿勢を正して立ち、体を震わせた。「見ざる、聞かざる、言わざる。叡智の三つの秘密だそうだが、どう思う?」「「Yes, your highness!!」」「よろしい」この日、彼等は己の主君に逆らう事の愚かしさを思い知らされた。