テーマ:政治について(20193)
カテゴリ:雑感
今日のサンデープロジェクトで、秋葉原無差別殺傷事件と今日の日本社会との関係についてとりあげていた。
最近この番組をまったく見なくなっていたのだが、ネット社会に関心があるものとして、このテーマは面白いと思ったので、久しぶりに見てみた。 番組には、桜井よしこ、姜尚中、香山リカ、東浩紀氏が登場していろいろ意見を述べていたが、残念ながらなかなかこれという結論を導くにいたらなかった。 そこで試みに、ここでの各氏の意見を参考にして、自分なりにこの問題についての結論めいたものを出してみたい。 桜井氏が日本が戦後アメリカの倫理観を受け入れたことに、原因があると言っていたが、それに対して姜氏が、日本はアメリカのような格差社会にならず、格差が固定化している、と言っていた。 格差社会とは、まさにそのようなものだ。 格差のある社会を格差社会とは呼ばない。 なぜなら世界中格差のないところはない。 格差が固定化されている社会を格差社会と呼ぶべきだろう。 力を持ってない中高年や若者の多くは、格差が固定化されたことによって、社会の中に埋没した。 格差が固定化されていれば、若者は自分の惨めさの原因を、力のない親に求めるのは、一理ある。 親が金をくれず、しかるべき職を与えてくれないからこんな境遇にある。 と言われても、親のほうも集団就職から這い上がって生きてきたのに、そんなわけの分からぬ息子の発言に同調できるわけがない。 せめて教頭でもやっていれば、小学校の教師にはさせてやれたかもしれないが・・・・・・・。 小泉改革によって、力を持っているものには実に都合の良い改革がなされた。 これによって多くの大企業の収益が改善された。 しかしキャノンや松下のような、日本を代表する企業においてすら偽装請負がなされている実態が発覚した。 社員は雇用する必要がない、派遣労働者でいいのだ。 権力者による改革は、当然力のあるものにとって都合の良いものとなる。 これは、既に富と力を手にしていた中高年には都合の良いものであったかもしれないが、持たざるものや多くの若者にとっては心地よいものではない。 されど今後当分、おそらく20年くらいはこの格差社会は、深化することはあっても、変わることはないだろう。 なぜなら、日本はそれなりにグローバル化は果たしたのだし、社会の安定化は多くの人の望むところだから。 もっともこれだけで、今回の秋葉原の事件の原因が導き出せるかと言うと、それほど単純ではないという気がする。もっと考えなければと思う。 しかし、今頃この問題を取り上げるサンデープロジェクトの真意は、どのへんにあるのか? 何にしても、多くの人がすぐに忘れ去っていくことを、いつまでも考え続けることはそれだけで十分反社会的な行為を感じる。 そして同時に私はそのことに生きる意味を見出す。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年12月20日 14時46分06秒
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