2022/12/15(木)14:23
ズーちゃんの思い出
ズーちゃんの姿が見えなくなってから、2ヶ月以上が経過した。
どうしても、もしかしての思いから1ヶ月はそのままにしておこうと思っていたズーちゃんの小屋は未だにそのままになっている。
ズーちゃんの姿を小屋に見なくなってからも10月の末までは、毎日小屋の入り口のカーテンの中に餌を運んだ。
主のいなくなったまま放置されている小屋もいよいよ今月中には撤去しないといけないか。
はじめは野良にこっそり餌などやっていたら近所迷惑でもんくを言われないか心配だった。
常に家の周りをうろうろしだしてまる分かりになったが、無視していた。
ホワイトと、同居しだしたときは、最悪だと思った。
しかし、運よく子供はできなかった やってるところは見たのだが 。
私が帰ってくると、道路に2匹で仲良く寝そべりまるで我が家の番猫かと思いたくなった。
そう思えば家の周りを常にうろうろしてくれたので、用心がいいかなとも思っていた。
それだけに、今にして思えば残飯ばかりやらずにもっとキャットフードをやっていればとか、たとえ助からずとも医者に診せていれば少しは延命できたのでは等、いろいろ悔やまれる。
そもそもズーちゃんは必ずあの小屋で息を引き取ると信じ込んでいたので、ペットの葬儀屋をどこにするかと悩んでいたのだ。実に甘かった。
猫が自分の死体をそう簡単に晒すはずもなかった。
家猫と同じように考えてしまったのだ。
ならば最後くらい家に入れるべきだったのか、かって、2度ほどズーちゃんは、家の中に足を踏み入れた。
1度は広縁から、1度は勝手口から。
2度とも慌てて追い出した。
やっぱり家に入りたかったのだろう。
だから、骨を拾うことはできなかった。
そんなことは猫にとってはどうでもよいことなのだが、こちらとしては、心の整理がつかない。
死体を見ぬ以上、どこかで生きているのではと。
ズーちゃんは現れたときから、元気そうだった。
もう一人前の猫で、子猫などとは違う。
でも、戻ってきて私の足元でじっとしていたときはすっかり元気をなくしていた。
私に最後の頼みを託していたのかもしれない。
最後に見たウッドデッキでの表情もそうだった。
歳は若くはなかったが、それまでは元気そうだったので、飼い猫にしてやってればあと5年くらいは十分生きられたのではないか。
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