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カテゴリ:独り言
今日は69回目の終戦記念日だワン。 そこで僕はブログ書きをお休みにしたのだワン だからママさんが僕の代わりに書いたのだワン 年月の流れはとても速く、もう戦後69になるのである。 平和な暮らしは本当に素晴らしい~ 朝起きてのんびりと愛犬との散歩を楽しみ、花に水を遣る。 特に豪華な物を食べるわけではないが、好きな物を好きなだけ食べられる。 警戒警報、空襲警報のサイレンも鳴らない! 誰もがごく当たり前の生活をしているのである。 考えてみるとこれがどれほど素晴らしく幸せな事なのか最近では全く考えた事も無い。 私は終戦の日を疎開先で迎えたのだが、当時国民学校の生徒だった。 同級生は学童疎開に参加していた人が多かった。 病院勤めをしていた父の診療所がH村に開設されることになり、そこへ引っ越す事になっていたのである。 父が医者であったことから招集は免れていた様である。 東京に住んでいたので毎日空襲があり恐ろしかった。 丁度明日には荷物を疎開先に送ることになっていた日の夜、住んでいた所に空襲があり命からがら逃げたのである。 家には焼夷弾が落ち火の粉が降りしきる中、少し離れた公園まで逃げたのだが足がすくみ本当に恐ろしかった。 父は家を火災から守ろうと庭にあった池の水を一生懸命掛けていたので、逃げたのは母と妹と私だけだったのである。 父の事を案じていたが周り中火の海であり、一軒の家の火災など手の付けようも無かったのだろう。 直ぐに私達の避難していた所へ合流してくれたのでホッとした。 公園の近くまで逃げてきた時に出会った知らない人から乾パンを頂いたのである。 その時のありがたかった事、嬉しかった事を今でもはっきり覚えているのである。 その後親戚の家に避難して数日後に住んでいた家の所へ行ってみたら一面焼け野原で建物は何も残って居なかった。 勿論家財道具から引っ越しのために荷造りをしてあった物まで何一つ残っては居なかった。 ただ父が池の中に放り込んだ物は焼けずに残ったのである。 勿論びしょ濡れで使い物にはならなかったけれど、中には使える食器などがあった様である。 何から何までが無くなってしまい呆然としたのだが、大好きだった外国製のお人形が焼けてしまい悲しかった。 叔父から頂いた物でお気に入りの品だったのでとてもガッカリしたのである。 一方ピアノが焼けてしまいホッとしたのである。 小さい時からピアノのお稽古をさせられていたのだが、これが嫌で堪らなかったのである。 今とは違い当時はピアノのお稽古をしている子供は周りには居なかったのである。 その後H村に疎開をしたのだが地元の国民学校へ行くのが嫌だった。 周りの友達からは東京人と言って馬鹿にされ、色々な事が余りにも違うのでひたすら我慢の日々だったのである。 唯一の救いは東京から疎開をしてきた女の先生がいらしたので色々と面倒を見て頂いたのである。 それに地元の人達には畑があり色々な物を作って居るから食べることには事欠かないだろう~ しかし疎開者の私達は配給だけしか食べる物が無いのでいつもお腹が空き、地元の子供達が羨ましかったのである。 そんな生活をしている内に終戦の日を迎えたのである。 東京に戻っても住む家も無く親戚宅へ同居させて貰い終戦後の生活も厳しかったのである。 国民学校は小学校になり、学校も焼けてしまったので焼け残った学校の校舎を3校で使い二部授業とか三部授業をしていたのである。 ただ日本の戦後復興はめざましかった。 あの時のことは生涯忘れないだろう~ しかし人間とは身勝手な者、最近ではあれこれと文句ばかり言っているのである。 戦争は二度としてはならない! 平和であることがどんなに大切なことか、皆で終戦の日に考え直してて欲しいと思うのである。 芙蓉に似た花 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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