テーマ:同居は嫌ですか?(1164)
カテゴリ:義理ネタ
ココ最近の私の目の上のタンコブが、
「イヤゲモノ」だ。 大掃除の時期だし。 物置代わりに貰った部屋に未だに残る、 大量の不用品が目に付くし。 こちらでは、「もったいない」ということを、 「いだますぃ」(できるだけ発音に近い表記)と言う。 個人的に語源は「傷み惜しい」当たりだと思う。 (「惜しい」と思うから捨てられないんじゃないかと。) ココ一連のイヤゲモノ記事を書いて、 自分の気持ちで見えてきたものがある。 私だって、「もったいない」と思う。 だから、「捨てる」ことが苦痛なのだ。 皆、ある程度「捨てる」ことに対して罪悪感があるんではないだろうか。 ・・・腐った醤油とか、 おかんアートとかは別にしてね。 であるからして、 捨てられない症候群の人は、 自分が「捨てる」ことの罪悪感を持ちたくないから 使わないものでもいつまでも取っておいて、 誰かにその罪悪感を押し付けようとしているんじゃないか。 深層心理では、「惜しい」という気持ちの底に、 捨てることへの罪悪感があるんじゃないか。 そして処理を押し付けられる側も、 それを理屈じゃなくて本能で感じるから、 余計に頭にくるのじゃないかな。 もちろん、「もったいない」の基準が違うことも 苛立ちの原因になっているとも思う。 例えば、今期お歳暮として我が家には、 リンゴの大箱3個届いている。 いかに大家族といえ、 そんなに消費しきれない。 だって、他にもみかん二箱、 柿大袋に二つあるんだよ。 無理。 だからといって、この大量の果物、 そのまま腐らせたらもったいないよね。 ここまでは、 私も義家族も思惑が一致する。 で、じゃぁどうするかってとこで行動が分かれる。 義家族は、 いだますぃと言いながら、 ひたすらそのまま食べ続ける。 完全に腐るまで、ある程度腐っても傷んでも食べ続ける。 で、他人(私や相方ね)に 「なんで食べないんだ、いだますぃ!!」と因縁をつける。 私だったら、迷惑にならない量で小分けして、 知っている限りの近場の人に声をかけておすそ分けする。 それでも減る分ってたかが知れているから (だって迷惑にならない量だからね) 後はできる限り圧縮して食べられるように工夫する。 リンゴジャムにしたり、アップルパイにしたり、 カレーに入れたり、焼肉のソースにしたりetc いつまで取っておいても、 ゴミになるばかりだ。 時間が経てば腐る。 努力せずに「いだますぃ」というのは違うんじゃないの?? ついでだけど日本に根強くある悪しき習慣。 例えば、お中元・お歳暮。 お祝い返し。 こういう習慣って、要らんと思う。 赤ちゃんが生まれて、おめでとうの気持ちでお祝いを贈っているのに、 新生児抱えててんてこ舞いのお母さんが、 そのお祝いのお返しを手配するのって半端なく大変だよ。 意味なくない? 結婚式の引き出物、 いまどきカタログが増えたけど、 それでも本当に欲しいモノ、カタログにはないよね? 「仕方ないからこれにしようかな・・・。」みたいな。 お中元もお歳暮も、 大量の醤油や油やビール、果物、ハムを貰って、 消費するのに頭を悩めなきゃいけない。 正直、箱なんていらないし、量もいらないし、 自分で特売の時に買いに行ったほうが安いよ。 そんな制度をお互いに廃止してさ。 それよりも、 一個300円のケーキでも持っていって顔出して、 皆で楽しくお茶したほうがいいと思う。 それができないような間柄なら、 もう没交渉でよろしく。 遠方の時は、同じものを大量でどっちゃり、 よりもご当地名物みたいなのを 少しずつ、いろんな種類で 送ってもらった方が嬉しい。 いかにも義務丸出しのハムなんて、 貰わなくてもいいよ。 (ハムが嫌いなわけじゃなくってね) 「まだ使えそうなもの」 「まだ使えるかもしれないもの」 を捨てることは、心が痛む。 だけど、 使うかどうか分からないものを後生大事に取っておく価値はない。 そして自分が捨てたくないからといって、 罪悪感を他者に押し付ける好意は、 迷惑といって差し支えない。 はぁ、自分のもやもやはすっきり!! だけど。 ・・・奴らには伝わらないから、 また出発点に逆戻り、だわ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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