ゴジラ老人シマクマ君の日々

2024/09/03(火)17:16

週刊 読書案内 佐伯一麦 「渡良瀬」 (新潮文庫)

読書案内「川上弘美・小川洋子・佐伯一麦」(9)

​​ ​​ 佐伯一麦 「渡良瀬」 (新潮文庫)  佐伯一麦という作家のエッセイ集「とりどりの円を描く」(日経新聞社)を読み終えた。​​   本の紹介を集めた本だが、書評というには短い、新聞を読む読者に向けて小さなエピソードと、作家の考えが過不足なくつづられていて読みやすい。いつから、こんなふうに穏やかで落ち着いた文章を書くようになったのか。老成した作家然としている落ち着きように少しいやみだと感じないわけでもない。​​ ​​ ​「ショート・サーキット」(当時、福武文庫・現在、講談社文芸文庫)​が初めての出会いだった。続けて読んだ「ア・ルースボーイ」(新潮文庫)でハマった。たしか、野間文芸賞新人賞、三島由紀夫賞をそれぞれとったはずだ。​​​   印刷用紙を触っていて手を切ったりすることがある。たいして切れているわけではいないのに、じわじわ痛い。数日すると細く長いかさぶたができる。そんな小説だった。  ​​​ 2005年​くらいまで、新しい作品が出ると、しようがないような気分で買いこんで読んでいた。この春に書棚の整理をしていると、大きめの判型の​「鉄塔家族」(日本経済新聞社)​が、妙に邪魔になる感じで座っていた。ところどころに付箋が貼ってあるから、読んだことは確かだ。たしか、これを読んだのを最後に、この人の小説を読むのを一旦やめた。​​ ​  家族との不和、仕事の現場で被災したアスベストによる喘息、ずっと、ルースボーイのままで、職場や家庭はいつまでもショートサーキットしている主人公のありさま、読み終わると、切れないカミソリきずのようなひりひり感、大作の​「鉄塔家族」​を読み終えて、つくづく、この人の作品は疲れると思ったはずだ。​ ​​​  あれから十年余り、とっている新聞の書評欄に佐伯一麦が書評を書き始めた。地に足が着いたというか、穏やかな物言いで作品をほめている文章に、はてなと思った。​「この人、何か変わったかな。」​​​ 何が変わったのかは、よくわからない。知り合いが勤めている大阪にある大学の文芸科で先生をしていると聞いたのもこのころだった。​​​ ​​​  新潮文庫の新刊のラインナップにあった​「渡良瀬」(新潮文庫)​という小説を久しぶりに読んだ。​  読み終えて、 最後のシーンが引っ掛かった。しかし、全体の印象は​​化けた!​​ という感じだった。以前のイメージが、小枝にとまって囀り続ける小鳥だったのに対して、かなり大きな鳥が大きく羽ばたいて、空をゆく感じがした。​   主人公を取り巻く家族や、職場の状況が大きく変わっているわけではないし、主人公の描写も年齢を重ねた様子が違うだけのようだが、読んでいると読者まで傷つけるような、錆をなめたような不快感が消えていた。 ​​​​​​  あわてて、なんであわてなきゃあいけないのかわからないが、気分はあわてて​「還れぬ家」(新潮文庫)​を読んだ。家族も仕事も変わっていた。40年前に飛び出したはずの仙台が舞台だった。東北の大地震を被災したふるさとの町に主人公は帰っていた。​​​​​​ ​  微妙なニュアンスは、以前の味わいを残しているが、この作品も「渡良瀬」に近い印象だった。​ ​​  「渡良瀬」は「鉄塔家族」と描かれている時期が重なっているように感じたが、何かが変わっている。小説世界は​1980年ころ​の作家の生活、子どもがいて、小説を書きたがる主人公がいて、それを嫌がる妻がいる。街の電気工事ではなく、配電盤製作工場の勤め人をしている。​​ ​​  今、手元にないのであやふやな記憶で書くが、小説の中で、時々訪ねる遊水池の野焼きのシーンが、日々の配電盤の製作のシーンと対照的なイメージで描写されており、ここに妻や子供たちを連れて来たいと思う気持ちを生活のなかでは素直に表すことができない主人公の哀切な心情の穏やかな深さがこれまでの作品にはなかった印象だった。しかし、最後にもう一度描かれた、この「遊水池」のシーンに引っかかった。​​   何故このシーンがもう一度ここで描かれるのか、そこまで書かれてきた電気工の主人公の描写と、このシーンがどうつながるのか。 ​ ここで湧きあがった  自分なりの疑問に答えを出したいからというより、​「還れぬ家」(新潮文庫)​を読んだあと、再び自分のなかでブームになっていて、図書館という強い味方を得たこともあり、今まで読まなかった小説論やエッセイ集にも手を出しはじめた。​ ​​​​ ​「とりどりの円を描く」​の次に手にとった一冊は​「麦の日記帳」(プレスアート)​という佐伯の最新の著書だ。そのなかに​「渡良瀬遊水池ふたたび」​と題したこんな文章があった。​​​​​ ​​  はるか上流の足尾銅山の鉱毒によって渡良瀬川は汚染され、流域の農地にまで及んでいった。日本における郊外に始まりととされる足尾鉱毒事件。そのために、時の明治政府によって、洪水調整の名目で、もともとは肥沃な農地で流れている川には魚影も濃かったこの土地は、遊水池として強制的に水没させられ作り替えられたのだった。 ​  そして今、上流の足尾山地や赤城山一帯は、放射能の汚染地帯が広がっており、大雨のたびにセシウムを含んだ大量の土砂が、遊水池へ運ばれてくる。震災によって三年ぶりにおこなわれた野焼きは、放射能の悲惨を懸念する声を配慮して、焼く葦原の面積を例年の四〇%にとどめたという。百年を経て歴史が繰り返されている思いが湧く。                                  ​​「あっ、そうか、ここが『谷中村』の水没地点だったんだ。」​​​​​  さすがのぼくでも、​渡良瀬川​が​足尾銅山​の鉱毒が垂れ流された川だということくらいは知って読んでいた。  しかし、主人公が自転車に乗ってやってくるこの場所の水底には100年前に沈められた村が一つある事には気づかなかった。​​   気づいてみると、この場所を小説の中に描こうとしていた作家の意図のようなものが浮かび上がってくる。作家は、人が生きている、小さな「とりどりの円」を描きながら、癒しの風景としての自然としてこの場所を描いていると読んでいたのだが、そうではなかった。この風景もまた100年を超える時間をたたえた「とりどりの円」の一つだったのだ。                                        日々のうたかたのような人の暮らしを描く小説の最後に、この風景を描くことで、人の命や生活を越えた時間が小説世界に流れ込んでくると作家は考えたに違いない。それがぼくの納得だった。 ​​​​​​  この日記は2013年の春に書かれていて、​「渡良瀬」(岩波書店)​が単行本として出版されたのはその年の暮れだ。小説は20年以上も昔の生活を描いているわけで、震災も放射能汚染も想像すら出来ない主人公の暮らしが描かれている。しかし、作家のなかには100年を超える時間の流れが意識されていたことは間違いなさそうだ。  引っかかっていたとげのような読後感はこうして解消し、​小説「渡良瀬」の大きさ​ を、あらためて実感した。​ 2018/12/30 ​​​​​ ​追記​​2019・04・19​​​ ​​佐伯さんの新作「山海記」(講談社)が出ましたね。楽しみです。朝日の書評委員を退かれたのは、とても残念ですが。​​ ​追記2019・11・24​ ​「山海記」を読みました。ぼくの中では2019年のベスト3に入る作品でした。感想はいずれ書きますが、ほかにも​「空にみずうみ」​の感想を書いています。表題をクリックしてくださいね。​ ​​​ ついでというわけですが、​​​黒川創「鴎外と漱石のあいだで」(河出書房新社)​という評論で、​「渡良瀬川の遊水池」​をめぐっ​て田中正造​と​吉屋信子の父​の出会いのエピソードが書かれています。で、それについて感想を書いています。表題をクリックしてみてくださいね。 追記2022・09・29  「山海記」の感想は書けないまま3年経ちました。難しいものですね。自分の家のどこかにあるはずなのですが、読み終えたその本がどこにあるのかもわからない状態です。黒川創の作品の感想も書きたいと思いながらうまく書けないのでほったらかしです。「読んだ本はどこに行った?」と、自問したのは晩年の鶴見俊輔だったと思いますが、とりあえず「ああ、ここにあった」にたどり着きたい今日この頃です(笑)。 ​ ​​                                      にほんブログ村(ボタン押してね!) にほんブログ村(ボタン押してね!) ​​​​​​​​​​ ​ ​​

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