2023/09/28(木)01:09
ヴィム・ヴェンダース「ことの次第」元町映画館no205
ヴィム・ヴェンダース「ことの次第」元町映画館 12ヶ月のシネマリレーの11本目はヴィム・ヴェンダース監督の「ことの次第」でした。1982年ですから、ほぼ40年前の白黒映画でした。「ハメット」が1982年の製作で、「パリ、テキサス」が1984年ですから、まあ、そのころの作品ですね。
ボクは、昨年だったかに見なおした「ベルリン天使の詩」で爆睡したのをチッチキ夫人に糾弾される失態を犯して以来、この監督の映画は敬して遠ざけさせていただいているのですが、今回は「12ヶ月のシネマリレー」のライン・アップの1本ということで、やって来ました。
はい、完敗でした!40年前に見ていたらなぁ・・・。 まあ、そういう負け惜しみに満ちた感想でした(笑)。
ポルトガルの海岸でアメリカのSF映画を撮っている映画撮影隊がいて、まず、意味不明のSFシーンが流れます。それから、撮影隊の話になって、実は、もう、フィルム代もないくらいに資金が底をついていて、金策しているはずのプロデューサーは逃げ出しているらしくて、音信不通で、チームを支えている老カメラマンは妻が危篤で、俳優の誰かと誰かはできていて、苦悩の監督は妻と愛し合っていて、隣の部屋では子役たちが聞き耳を立てていて、主演女優は西部劇論の本なんか読んでいて、俳優たちは夜昼なく飲んだくれ始めて、という、あれやこれやの現場の様子が約1時間続きます。 見ていて、かなり疲れます(笑)。
カット、カットのディテールは興味深いのですが、何が起こっていて、これから「映画」はどうなるのかわかりません。わからなさの中で、眠り込みもしないで座っいるとこんなセリフが聞こえてきました。「本当は物語なんてどこにもないのだ。」 まあ、本当はも少しシャレたセリフだったように思います。正確な記憶ではありませんが、登場人物の誰かが、そんなことを口走るのをきいて、ハッとしました。
思い浮かんだのは、まだ生きていた中上健二とかが、しきりに口にしていた「物語喪失論」、あるいは、「物語解体論」です。1980年代のブームです。
まあ、ボクなりの、多分、デタラメで勝ってな理解ですが、小説であろうが映画であろうが、一つ一つのプロットの連鎖を「物語」として文脈化、全体化するのは人間の勝手な妄想であって、「自然」の時間に「物語」なんてものは、もともとないのである、というわけですが、なぜか、一つのまとまりとして作品が出来上がってしまうと「物語」になってしまうのですね。で、見ている人は、それぞれの「物語」を読み取って納得するんです。要するに、自己満足に過ぎないということです。
この映画の後半は、金策のためにロサンゼルスにやって来た監督が、ようやくのことで、マフィアから逃げているプロデューサを探し出し、行き詰まりの解決法を互いに失っていることを確認し、別れる場面で、何者かに射殺されてしまいます。面白いのは二人共、誰が撃ったのかわらない銃弾で殺されるところですね。 映画製作費をめぐる、マフィアとの確執の「物語」をこの映画が描きたかったのであれば、このラストシーンは丸投げなのです。観客は延々と2時間、何を見ていたのか? 当時のシマクマ君は「物語論」の流行に夢中でしたが、もう忘れてしまいましたね。「あの頃見ていればなあ・・・」 まあ、そんなことを思いながら、完敗でいいや! という帰り道でした。最後まで負け惜しみですね(笑)
監督 ヴィム・ヴェンダース
製作 クリス・ジーバニッヒ
脚本 ビム・ベンダース
撮影 アンリ・アルカン フレッド・マーフィ
音楽 ルゲン・クニーパー
キャスト
パトリック・ボーショー(フリッツ・監督)
イザベル・ベンガルテン(アンナ・読書する女優)
アレン・ガーフィールド(ゴードン・プロデューサー)
サミュエル・フラー(ジョー)
ロジャー・コーマン(弁護士)
1982年・127分・PG12・/西ドイツ
原題「Der Stand der Dinge」
日本公開1983年11月
2023・09・23・no117・元町映画館no205